(株)三和銀行『三和銀行の歴史』(1974.12)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治34年(1901) - 【渋沢栄一】大阪瓦斯会社監査役。東京・飛鳥山邸を本邸とする。京釜鉄道株式会社取締役、後に取締役会長。茨城採炭株式会社創立、相談役。〔61歳〕 渋沢関係略年譜
- この年、わが国の普通銀行数史上最高となる(年末現在一八九〇行) 一般の事項
明治35年(1902) - 【渋沢栄一】合名会社中井商店顧問。清韓協会設立・幹事長。京仁鉄道合資会社取締役社長。兼子夫人同伴で欧米視察。ルーズベルト大統領と会見。〔62歳〕 渋沢関係略年譜
4月11日 日本興業銀行開業([p]48) 一般の事項
12月30日 鴻池 原田二郎、鴻池銀行理事に就任([p]73) 三十四・山口・鴻池関係の事項
明治37年(1904) - 【渋沢栄一】風邪をこじらせ長期に静養。韓国興業株式会社設立、監督。〔64歳〕 渋沢関係略年譜
2月10日 日露戦争はじまる(三十八年九月講和条約調印) 一般の事項
10月8日 三十四 三十四銀行、大阪市東区高麗橋四丁目五番地(旧本店跡)に本店新築落成([p]46) 三十四・山口・鴻池関係の事項
明治40年(1907) - 【渋沢栄一】帝国劇場会社創立・取締役会長。品川白煉瓦株式会社相談役。日清汽船株式会社創立、取締役。日本皮革株式会社創立、相談役。合資会社沖商会有限責任社員・監査役。帝国製麻株式会社創立、相談役。東明火災海上保険株式会社創立、取締役。〔67歳〕 渋沢関係略年譜
1月26日 鴻池 原田二郎、鴻池銀行専務理事に就任([p]76) 三十四・山口・鴻池関係の事項
9月12日 三十四 三十四銀行、広島支店を開店(現広島支店の前身) 三十四・山口・鴻池関係の事項
明治42年(1909) - 【渋沢栄一】古稀に際し多くの企業・団体の役員を辞任。渡米実業団を組織し団長として渡米。タフト大統領と会見。〔69歳〕【竜門社】組織を変更し、社則を改正。青淵先生の道徳経済合一説を広め実践する団体に性格を変える。 渋沢関係略年譜
7月 三十四 小山健三、大日本製糖の債権を償却するため三十四銀行に対し私財十万円を提供([p]47) 三十四・山口・鴻池関係の事項
明治43年(1910) - 【渋沢栄一】政府諮問機関の生産調査会創立・副会長。社団法人東京銀行集会所会長。〔70歳〕【竜門社】青淵先生の七十寿祝賀会を開催する。 渋沢関係略年譜
2月 三十四・山口・鴻池 三十四銀行・山口銀行・鴻池銀行、国債引受シンジケートに参加([p]50) 三十四・山口・鴻池関係の事項
2月 第一回四分利公債発行。有力銀行十六行による国債引受シンジケート結成([p]50) 一般の事項
5月1日 山口 町田忠治、山口銀行総理事を退任、坂野兼通、山口銀行理事に就任([p]64) 三十四・山口・鴻池関係の事項
明治45年(1912) - 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 渋沢関係略年譜
5月 三十四 三十四銀行、事業資金部を設置([p]49) 三十四・山口・鴻池関係の事項
大正元年(1912) - 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 渋沢関係略年譜
10月15日 山口 山口銀行、東京支店を開店(現室町支店の前身)([p]66) 三十四・山口・鴻池関係の事項
大正2年(1913) - 【渋沢栄一】伯剌西爾拓植株式会社創立準備委員。日本結核予防協会創立・副会頭(後に会頭)。中国興業株式会社(後の中日実業)創立、相談役。日本実業協会創立・会長。帝国飛行協会成立、評議員。〔73歳〕 渋沢関係略年譜
8月 山口 坂野兼通、山口銀行総理事に就任([p]66) 三十四・山口・鴻池関係の事項
9月 鴻池 島村久、鴻池銀行理事を退任 三十四・山口・鴻池関係の事項
大正3年(1914) - 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 渋沢関係略年譜
7月28日 第一次世界大戦はじまる(八月二十三日わが国も参戦)([p]51) 一般の事項
大正4年(1915) - 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 渋沢関係略年譜
11月22日 三十四 三十四銀行、東京支店を開店(現堀留支店の前身)([p]54) 三十四・山口・鴻池関係の事項
大正5年(1916) - 【渋沢栄一】海外植民学校顧問。日米関係委員会創立・常務委員。第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。理化学研究所創立委員長。喜寿記念として第一銀行が玉川清和園に記念館誠之堂建設。渋沢栄一述『論語と算盤』(東亜堂書房)刊行。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
11月 山口 佐々木駒之助、山口銀行常務理事に就任 三十四・山口・鴻池関係の事項
12月20日 山口 関西信託株式会社、山口家の経営となる(山口謙四郎社長に就任)([p]66) 三十四・山口・鴻池関係の事項
大正6年(1917) - 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。飛鳥山邸(曖依村荘)に晩香廬落成、喜寿の祝いに合資会社清水組より贈られる。〔77歳〕 渋沢関係略年譜
3月18日 山口 株式会社山口銀行設立。資本金二千万円、社長四代山口吉郎兵衛、常務坂野兼通・佐々木駒之助(五月一日個人経営の山口銀行の営業を継承して開業)([p]68) 三十四・山口・鴻池関係の事項
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