※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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文化8年(1811) | - | 友聞、幕府から住友の苗字と銅山御用達の肩書き公許 | 前史住友関係 |
文政元年(1818) | - | 友聞、金銀貨引き替え御用を引き受ける | 前史住友関係 |
文政2年(1819) | - | 友聞、銅座掛屋を引き受ける | 前史住友関係 |
弘化2年(1845) | - | 【渋沢栄一】この頃、父に三字教、蒙求、小学等を教わる。栄治郎と改名。〔5歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 友聞隠居、吉次郎友視、十代当主となる | 前史住友関係 | |
嘉永2年(1849) | - | 江戸の両替店縮小(中橋店閉鎖、正木町に移転) | 前史住友関係 |
嘉永6年(1853) | - | 【渋沢栄一】家業の畑作、養蚕、藍葉の買入、藍玉製造販売に精励。〔13歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | ペリー、浦賀に来航 | 前史一般 | |
安政4年(1857) | - | 友視死去、吉次郎友訓、十一代当主となる | 前史住友関係 |
元治元年(1864) | - | 【渋沢栄一】一橋家に仕える。篤太夫と改名。〔24歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 友訓死去 | 前史住友関係 | |
慶応元年(1865) | - | 【渋沢栄一】一橋家歩兵取立御用掛を命ぜられ領内を巡廻。〔25歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 吉左衛門友親、十二代当主となる | 前史住友関係 | |
慶応3年(1867) | - | 【渋沢栄一】将軍名代・徳川昭武に従ってフランスへ出立、パリ万国博覧会などを視察。〔27歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 徳川慶喜、大政奉還 | 前史一般 | |
明治元年(1868) | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 土佐藩が別子銅山を、薩摩藩が大阪の銅蔵を差し押さえ//新政府に別子銅山の請負稼行継続を嘆願、許可 | 前史住友関係 | |
- | 銅座廃止 | 前史一般 | |
明治2年(1869) | - | 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 江戸の泉屋両替店と浅草米店を廃止 | 前史住友関係 | |
- | 大阪鰻谷の銅吹き所、立川に移転 | 前史住友関係 | |
- | 東京へ遷都 | 前史一般 | |
明治4年(1871) | - | 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 神戸に製銅売捌所を開設 | 前史住友関係 | |
- | 廃藩置県 | 前史一般 | |
明治5年(1872) | - | 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 汽船「白水丸」を購入 | 前史住友関係 | |
- | 国立銀行条例発布 | 前史一般 | |
明治6年(1873) | - | 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 富島出店設置 | 前史住友関係 |