※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正元年(1912) | - | 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月13日 | 明治天皇大葬。乃木希典夫妻殉死 | 社会の動き | |
大正2年(1913) | - | 【渋沢栄一】伯剌西爾拓植株式会社創立準備委員。日本結核予防協会創立・副会頭(後に会頭)。中国興業株式会社(後の中日実業)創立、相談役。日本実業協会創立・会長。帝国飛行協会成立、評議員。〔73歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月11日 | 桂太郎内閣護憲運動騒乱の責をとり総辞職、元老会議、山本権兵衛を後継首相に推薦 | 社会の動き | |
3月4日 | ウィルソン、アメリカ大統領に就任 | 社会の動き | |
大正3年(1914) | - | 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | アメリカ留学を終えた江橋貞二を工場長に迎え、東京工場を東京市深川区千田町1番地に開設 | 会社の歩み | |
7月28日 | 第1次世界大戦始まる | 社会の動き | |
8月23日 | 日本、ドイツに宣戦布告し大戦に参加 | 社会の動き | |
10月1日 | 三越呉服店本館開館(横河工務所設計) | 社会の動き | |
大正4年(1915) | - | 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 | 渋沢関係略年譜 |
8月18日 | 大阪朝日新聞社主催第1回全国中等学校野球大会(現高校野球)、豊中グランドで開催 | 社会の動き | |
大正6年(1917) | - | 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。飛鳥山邸(曖依村荘)に晩香廬落成、喜寿の祝いに合資会社清水組より贈られる。〔77歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月12日 | 大蔵省、金貨幣・金地金輸出取締令を公布(事実上の金本位制停止) | 社会の動き | |
10月1日 | 関東地方に大暴風雨襲来、東京工場高潮のため建物全壊する | 会社の歩み | |
11月7日 | ロシアにソビエト政権樹立(10月革命) | 社会の動き | |
大正7年(1918) | - | 【渋沢栄一】渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(竜門社)刊行。〔78歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月25日 | (株)横河橋梁製作所創立総会開催 | 会社の歩み | |
5月2日 | 株式会社設立登記。本社所在地は東京市日本橋区楓河岸7号地 | 会社の歩み | |
8月2日 | 政府、シベリア出兵を宣言 | 社会の動き | |
8月3日 | 富山県中新川郡西水橋町に米騒動。次いで全国に波及 | 社会の動き | |
9月21日 | 寺内正毅内閣総辞職。初の民間首相による原敬内閣成立(9.29) | 社会の動き | |
11月11日 | ドイツ、連合国と休戦協定に調印し共和国宣言(第1次世界大戦終結) | 社会の動き | |
大正8年(1919) | - | 【渋沢栄一】アメリカ合衆国政府より日米船鉄交換争議の仲裁人を委嘱される。財団法人協調会創立・副会長。〔79歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月11日 | 道路法公布 | 社会の動き | |
6月28日 | ベルサイユ講和条約調印 | 社会の動き | |
6月 | 東京芝浦の埋立て地の一部を購入。東京工場(千田町)の約3倍の敷地を確保 | 会社の歩み |