(社)東京銀行協会東京手形交換所『東京手形交換所100年の歩み』(1987.12)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治32年(1899) - 【渋沢栄一】衆議院議員選挙法改正規制同盟会会長。福田会名誉顧問。大蔵省より株式会社北海道拓殖銀行設立委員に任命。京仁鉄道合資会社設立、取締役社長。銀行倶楽部委員。飛鳥山邸(曖依村荘)に茶室・無心庵竣工。 〔59歳〕 渋沢関係略年譜
3月 東京銀行集会所、取引停止処分の手続を改正//集会所はあらためて「不渡手形ニ関スル規約」を決定した。//従来の規約では、不渡があったときは、支払を拒まれた銀行からの告知により直ちに集会所から銀行へその旨を通知し、取引停止としていたが、これを改め、支払銀行が、翌日午後3時までに処分の可否を届出、その結果によって取引停止処分者を通知することとなった。この措置により銀行の取扱錯誤等による処分が事前に防止されることとなった。 銀行集会所内設置時代(明治20年12月~明治33年7月)
5月 取引停止処分制度を交換所が継承、代理交換参加銀行にも適用//取引停止処分は、27年9月以降は集会所の申合せとして実施されてきたが、代理交換参加銀行の中には集会所に加盟していない銀行もあったため、充分その目的を果せなくなっていた。このため「不渡手形ニ関スル規約」を交換所の申合せとし、「代理交換規約」(31年10月決定、30年6月の項参照)に代理交換参加銀行にも適用することを規定した。 銀行集会所内設置時代(明治20年12月~明治33年7月)
6月 取引停止処分解除手続を改正//取引停止処分の解除は、組合銀行集会で出席銀行の4分の3以上の同意により決定することとした。 銀行集会所内設置時代(明治20年12月~明治33年7月)
明治33年(1900) - 【渋沢栄一】京釜鉄道株式会社創立委員長。日本興業銀行設立委員(後に監査役)。男爵を授けられる。黒須銀行相談役。〔60歳〕【竜門社】青淵先生の還暦祝賀として『青淵先生六十年史 一名近世実業発達史』を刊行、青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
2月 交換所規則を改正(同年3月実施)//イ 「代理交換規約」、「不渡手形ニ関する規約」を規則に吸収した。//ロ 取引停止処分の期間を3年間に限定する(従来は期限なし。)//ハ 取引停止処分者と取引を行った銀行に過怠金(10円)を課する。 銀行集会所内設置時代(明治20年12月~明治33年7月)
7月 取引停止処分解除請求の予備審査のため調査委員会を設置//調査委員には組合銀行が2か月交替で就任することとした。 銀行集会所内設置時代(明治20年12月~明治33年7月)
8月 「東京交換所」は明治33年8月東京銀行集会所から分離し独立した組織となり、大正14年12月に名称を「東京手形交換所」と改めた。さらに昭和元年12月社団法人に改組して、昭和20年6月太平洋戦争末期の東京空襲の下で解散した。交換所が数度の戦争、関東大震災、金融恐慌などの歴史の荒波の中で、機能発揮に努めてきた時代であった。//この時代の交換所は、手形交換、取引停止処分の業務のみならず、銀行業務の改善、合理化や財政、税制問題等に関しての民間銀行の意見集約の場として多彩な活動を行った。//一方、この間に、全国の手形交換所の連合会が組織され、各地交換所とその加盟銀行の連携がはかられたが、この連合会が毎年開催した懇親会には、内閣総理大臣、大蔵大臣および日本銀行総裁が招かれ、講演を行うことが慣例であった。今日の銀行大会の前身といえよう。 独立組織時代(明治33年8月~昭和20年6月)
8月 東京交換所が、東京銀行集会所から独立 独立組織時代(明治33年8月~昭和20年6月)
11月 当座預金残高100円未満には付利しないことを申合せ(34年1月実施) 独立組織時代(明治33年8月~昭和20年6月)
明治34年(1901) - 【渋沢栄一】大阪瓦斯会社監査役。東京・飛鳥山邸を本邸とする。京釜鉄道株式会社取締役、後に取締役会長。茨城採炭株式会社創立、相談役。〔61歳〕 渋沢関係略年譜
6月 東京郵便電信局(現・東京中央郵便局)交換参加 独立組織時代(明治33年8月~昭和20年6月)
7月 取引停止処分者名を新聞等へ公表することとする 独立組織時代(明治33年8月~昭和20年6月)
7月 約束手形および為替手形用紙の様式ひな型を制定 独立組織時代(明治33年8月~昭和20年6月)
11月 交換所規則を改正//小切手を不渡とした者は直ちに取引停止処分とする(翌日午後3時までの取消は認めない)。 独立組織時代(明治33年8月~昭和20年6月)
明治35年(1902) - 【渋沢栄一】合名会社中井商店顧問。清韓協会設立・幹事長。京仁鉄道合資会社取締役社長。兼子夫人同伴で欧米視察。ルーズベルト大統領と会見。〔62歳〕 渋沢関係略年譜
10月 証書、約定書等のひな型を制定//東京銀行集会所で制定したひな型のうち、当座預金借越約定書、為替取引約定書、借用金証書などのひな型を改正し、交換所としてひな型を制定した。 独立組織時代(明治33年8月~昭和20年6月)
明治36年(1903) - 【渋沢栄一】東宮御慶事奉祝会副会長・会計監督。インフルエンザ罹患、喘息を併発。京釜鉄道株式会社理事。日印協会創立・会員(後に会頭)。〔63歳〕 渋沢関係略年譜
3月 第1回「交換所組合銀行聯合会」開催//(1)東京、大阪、神戸、京都、横浜、名古屋の6手形交換所が参加して、第1回の交換所の連合会が東京銀行集会所で開催された。明治37年10月の第2回会合で採択された聯合会規約により「交換所組合銀行聯合会」と称することとなった。//(2)聯合会は“手形交換及経済上ニ関スル利害得失ヲ談論審議シ併セテ各交換所組合銀行ノ交誼ヲ厚ウスル”ことを目的として、毎年1回開催することとし、手形交換業務のみならず、銀行業務一般の改善・合理化および財政・経済問題等につき討議、決議を行うこととした。//(3)毎年の聯合会に引続き開催される懇親会には、総理大臣(第10回以降)、大蔵大臣および日本銀行総裁が招かれ、講演するのが慣例であった。//(4)聯合会は、大正9月4月に「手形交換所聯合会」と改称。昭和15年4月からは常設の組織の「全国手形交換所聯合会」となったが、昭和20年6月の社団法人東京手形交換所の解散と同時に解散した。 独立組織時代(明治33年8月~昭和20年6月)
11月 国庫計算の厘位廃止を大蔵大臣へ建議 独立組織時代(明治33年8月~昭和20年6月)
12月 交換所規則を改正//取引のない銀行を支払場所として手形を振出し不渡とした者は直ちに取引停止処分とする(翌日午後3時までの取消しを認めない)。 独立組織時代(明治33年8月~昭和20年6月)
明治37年(1904) - 【渋沢栄一】風邪をこじらせ長期に静養。韓国興業株式会社設立、監督。〔64歳〕 渋沢関係略年譜
2月 日露戦争はじまる 独立組織時代(明治33年8月~昭和20年6月)
3月 経済調査委員会を設置//明治37年2月にはじまった日露戦争の下における銀行経営の参考にするため、戦時下の財政・経済問題を調査・研究する「戦時経済調査委員会」を設置した。同委員会は、日露戦争終結後解散したが、明治38年11月には「戦後経済調査委員会」を設置した。さらに明治40年12月から常設の「経済調査委員会」を設置し、財政・経済問題の調査研究のほか、交換所としての各種決議事項の原案作成に大きな役割りを果した。 独立組織時代(明治33年8月~昭和20年6月)
明治39年(1906) - 【渋沢栄一】大日本麦酒株式会社設立、取締役。南満州鉄道株式会社設立委員。京阪電気鉄道会社創立・創立委員長(後に相談役)。大日本製糖株式会社設立、相談役。名古屋電力株式会社創立・相談役。東海倉庫株式会社創立・相談役。明治製糖創立・相談役。〔66歳〕 渋沢関係略年譜
3月 法令の適用、裁判、登記事務等に関する実業界の要望を東京地方裁判所長へ答申 独立組織時代(明治33年8月~昭和20年6月)
7月 小切手への印紙税課税反対を税法審査委員会会長へ答申 独立組織時代(明治33年8月~昭和20年6月)
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