(株)日本勧業銀行『日本勧業銀行史 : 特殊銀行時代』(1953.06)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治28年(1895) - 【渋沢栄一】東京統計協会終身会員。北越鉄道株式会社創業総会・監査役(後に相談役)。〔55歳〕 渋沢関係略年譜
5月 松方蔵相、「日本興業銀行法案」を閣議提出す。
明治29年(1896) - 【渋沢栄一】日本精糖株式会社創立・取締役。東京興信所創立、評議員。東京銀行集会所会長。東京印刷株式会社設立・相談役。東洋汽船株式会社創業、監査役。東京建物株式会社創立発起人。第一国立銀行が営業満期により株式会社第一銀行となる。引続き頭取。汽車製造合資会社設立・創立委員(後に監査役)。北越石油株式会社創業・相談役。日本勧業銀行設立委員。〔56歳〕【渋沢敬三】父・渋沢篤二、母・敦子の長男として都内深川に生まる。 渋沢関係略年譜
1月16日 日本勧業銀行法案第九回帝国議会に提出さる。
4月18日 法律第八二号を以て日本勧業銀行法公布さる。
12月8日 大蔵次官田尻稲次郎以下一三名、設立委員に任命さる。
12月12日 第一回設立委員会開催、田尻稲次郎を委員長に互選す。
明治30年(1897) - 【渋沢栄一】澁澤倉庫部開業、営業主(後に澁澤倉庫株式会社発起人)。日本女子大学校創立委員会計監督(後に校長)。十勝開墾合資会社業務担当社員。広島水力電気株式会社創立、取締役会長。渋沢家洲崎養魚場開設。 〔57歳〕 渋沢関係略年譜
3月17日 設立委員会において定款を議了す。
4月8日 日本勧業銀行法および定款の規定により株式の募集に着手す。
6月7日 創立。株式申込簿を添え設立免許を大蔵大臣に稟請し、即日免許を受く。
6月14日 河島醇、総裁に任命さる。
6月30日 大蔵省内に設置の日本勧業銀行設立事務所閉鎖さる。
7月9日 公称資本金一〇百万円(五〇千株)の四分一の払込を完了す。
7月12日 設立登記を為す。
7月29日 貸出規則、抵当物鑑定規則その他諸般の内規を制定し、大蔵大臣の認可を受く。
8月2日 仮営業所を永代橋橋畔旧日本銀行跡に設く。営業を開始す。
11月27日 静岡農工銀行設立さる。以後三三年までに全国各府県に、四六行設立さる。
明治31年(1898) - 【渋沢栄一】浅野セメント合資会社監査役。韓国視察、韓国皇帝に謁見。王子製紙株式会社取締役会長を辞す(後に相談役)。〔58歳〕 渋沢関係略年譜
2月3日 年五分の第一配当を為す。
3月16日 勧業債券規則を制定し、大蔵大臣の認可を受く。払込資本金二、五〇〇千円を殆ど貸尽し、第一回割増金附勧業債券一百万円(券面金額五〇円、利率年五分)の募集を実行す。
4月15日 政府より工業会社に対する貸付出動の通達を受く(臨時大阪工業救済貸付)。
6月4日 日本勧業銀行法の改正により勧業債券の券面金額最低五〇円を二〇円に改む。
12月13日 割増金附勧業債券の償還抽籤をはじめて執行す。
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