(株)日本勧業銀行『日本勧業銀行史 : 特殊銀行時代』(1953.06)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正3年(1914) - 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 渋沢関係略年譜
7月25日 資本金増加の件につき大蔵大臣の認可を受く。公称資本金二〇百万円を四〇百万円に増加し、株式一〇〇千株を二〇〇千株に改む。
12月16日 勧業債券月報社、資本金五〇〇千円の株式組織に改めらる。
大正4年(1915) - 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 渋沢関係略年譜
2月1日 勧業大券を日本銀行の見返担保品に加えらる。
6月19日 日本勧業銀行法の改正により畜産組合に対する無抵当貸付を認めらる。
大正5年(1916) - 【渋沢栄一】海外植民学校顧問。日米関係委員会創立・常務委員。第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。理化学研究所創立委員長。喜寿記念として第一銀行が玉川清和園に記念館誠之堂建設。渋沢栄一述『論語と算盤』(東亜堂書房)刊行。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
- 勧興合併論おこる。
大正6年(1917) - 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。飛鳥山邸(曖依村荘)に晩香廬落成、喜寿の祝いに合資会社清水組より贈られる。〔77歳〕 渋沢関係略年譜
1月17日 経済問題調査会勧興合併反対を決議す。
6月 全国農工銀行臨時大会において勧農合併論おこる。
7月20日 日本勧業銀行法、改正さる。//(1)産業組合またはその聯合会に対する手形割引または当座預金貸越を認めらる。//(2)勧業債券の発行総額は年賦償還貸付金総高、定期償還貸付金総高および引受農工債券現在高を超過し得ざることとなる。
7月 戦時貯金券法案上程さる(審議未了)。
大正7年(1918) - 【渋沢栄一】渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(竜門社)刊行。〔78歳〕 渋沢関係略年譜
1月 大蔵大臣、勧農両銀行に勧農合併案を内示す。
3月30日 日本勧業銀行法の改正により軌道財団を日本勧業銀行法の適用については不動産と見なさる。
6月29日 定款変更により農工債券引受に関する制限を削除、以後農工債券の引受伸長す。
9月9日 大阪支店を開設す。
大正9年(1920) - 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
2月10日 株式会社勧業月報社増資、社名を日本勧業信託株式会社と改む。
7月31日 日本勧業銀行法、改正さる。//(1)定期償還貸付金の限度を払込資本金および積立会総高に相当する金額まで拡張せらる。//(2)農工債券のほか北海道拓殖債券、朝鮮殖産債券の引受を認めらる。//(3)勧業債券の発行限度を一〇倍より一五倍に、またその超過制限を年賦償還貸付金総高、定期償還貸付金総高およびその引受けたる農工債券、北海道拓殖債券、朝鮮殖産債券現在高まで拡張せらる。
7月 蚕糸業救済貸付を開始す。
12月 産業組合を通して自作農に無抵当貸付のみちを開く。
大正10年(1921) - 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 渋沢関係略年譜
4月21日 日本勧業銀行法、改正さる。//(1)株式の金額を二〇〇円より五〇円に改めらる。//(2)勧業小券の発行により得たる資金の用途に制限を加えらる。//(3)公共団体に対する短期貸付を認めらる。//(4)府県都市のために金銭出納の取扱を認めらる。//(5)農工銀行の存在せざる府県に対し農工漁業者十人以上連帯無抵当定期償還貸付を認めらる。//(6)農工銀行の存在せざる府県に日本勧業銀行地方監理官を設けらる。//(7)農工銀行の存在せざる府県毎に二人以内の地方顧問の設置を認めらる。
4月22日 法律第八〇号を以て「日本勧業銀行及農工銀行ノ合併ニ関スル件」公布さる。
7月1日 山梨農工銀行及佐賀県農工銀行と合併契約を締結す。
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