※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正10年(1921) | - | 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 | 渋沢関係略年譜 |
10月 | 東洋醸造、「フジビール」発売 | 業界事項 | |
12月 | 吹田工場に清涼飲料工場完成(「リボンシトロン」等製造) | 当社事項 | |
12月 | 寿屋洋酒店、(株)寿屋設立 | 業界事項 | |
大正11年(1922) | - | 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 未成年者飲酒禁止法公布 | 社会事項 | |
4月 | 日本麦酒鉱泉、「ユニオンビール」発売 | 業界事項 | |
大正12年(1923) | - | 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月 | 麒麟麦酒、東洋醸造を買収 | 業界事項 | |
6月 | 竹鶴政孝、寿屋と10年契約でウイスキー製造を引き受ける | 業界事項 | |
9月1日 | 関東大震災により吾妻橋工場ほぼ全壊(目黒工場・保土ヶ谷工場も大破) | 当社事項 | |
9月1日 | 関東大震災 | 社会事項 | |
大正13年(1924) | - | 【渋沢栄一】財団法人日仏会館創立・理事長。東京女学館・館長。〔84歳〕【竜門社】財団法人竜門社となる。 | 渋沢関係略年譜 |
6月 | 関東大震災を受けて市街地建築物法改正(煉瓦造りが厳しい規制の対象となる) | 社会事項 | |
- | 金線飲料、有馬鉱泉を合併 | 業界事項 | |
大正14年(1925) | - | 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 | 渋沢関係略年譜 |
1月1日 | 名古屋工場竣工 | 当社事項 | |
2月 | 日本麦酒鉱泉、東京工場(埼玉・川口、ビール)竣工 | 業界事項 | |
5月 | 日本麦酒鉱泉、金線飲料を合併 | 業界事項 | |
- | 「三ツ矢レモラ」発売 | 業界事項 | |
昭和元年(1926) | - | 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
12月25日 | 大正天皇崩御により昭和に改元 | 社会事項 | |
大正15年(1926) | - | 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 「合同二十周年祝賀販売店会」を吹田工場にて開催 | 当社事項 | |
- | 吹田工場約70,000坪 | 当社事項 | |
- | 山本為三郎、柳宗悦・河井寛次郎・浜田庄司らと日本民芸美術館設立計画参画 | 社会事項 | |
昭和2年(1927) | - | 【渋沢栄一】日本国際児童親善会創立・会長。日米親善人形歓迎会を主催。航空輸送会社設立準備調査委員会会長。〔87歳〕【渋沢敬三】東洋生命取締役に就任。理化学興業監査役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 明治屋、「キリンビール」一手販売返上 | 業界事項 |