住友金属鉱山(株)『住友金属鉱山二十年史』(1970.11)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正14年(1925) - 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 渋沢関係略年譜
5月 鴻之舞、元山第二通洞開通 当社
6月30日 日之出生命保険(株)住友系となる(後の住友生命保険相互会社) 連系会社・業界・一般
7月28日 住友信託(株)設立 連系会社・業界・一般
9月 鴻之舞、元山本鉱床の富鉱帯に着脈 当社
大正15年(1926) - 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 渋沢関係略年譜
7月1日 住友伸銅所、住友伸銅鋼管(株)に改組(住友金属工業(株)の前身) 連系会社・業界・一般
昭和2年(1927) - 【渋沢栄一】日本国際児童親善会創立・会長。日米親善人形歓迎会を主催。航空輸送会社設立準備調査委員会会長。〔87歳〕【渋沢敬三】東洋生命取締役に就任。理化学興業監査役に就任。 渋沢関係略年譜
1月 鴻之舞、元山第三通洞開通 当社
7月1日 住友合資、別子鉱業所の経営を分離して住友別子鉱山(株)設立 当社
7月 別子、端出場発電所を土佐吉野川水力電気(株)に合併(住友共同電力(株)の前身 当社
7月 日本鉱山協会設立 連系会社・業界・一般
8月 別子、端出場手選場完成 当社
昭和3年(1928) - 【渋沢栄一】日本女子高等商業学校建設後援会発起人。日本航空輸送株式会社創立・創立委員長。〔88歳〕【竜門社】青淵先生米寿祝賀会を開催し、斯文会編訳『国訳論語』等を記念品として青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
5月 鉱石会(硫化鉱販売カルテル)結成 連系会社・業界・一般
7月1日 別子機械課、新居浜製作所となる(住友重機械工業(株)の前身) 当社
12月 別子、丹パン製造開始 当社
昭和4年(1929) - 【渋沢栄一】アメリカン・ソサエティ・オブ・メカニカル・エンジニア名誉会員。中央盲人福祉協会創立・会長。〔89歳〕 渋沢関係略年譜
1月 鴻之舞、元山第一鉱床着脈 当社
2月6日 別子専用鉄道、地方鉄道となる 当社
6月 別子、電気銅月産能力一五〇〇トンへ拡張 当社
7月 四阪島、ペテルゼン式硫酸工場建設 当社
10月24日 ニューヨーク株式市場大暴落、世界恐慌始まる 連系会社・業界・一般
昭和5年(1930) - 【渋沢栄一】明治神宮外苑聖徳記念絵画館に壁画献納。財団法人楽翁公遺徳顕彰会会長。〔90歳〕 渋沢関係略年譜
1月11日 金輪出解禁 連系会社・業界・一般
4月1日 住友九州炭砿(株)と住友坂炭砿(株)と合併して住友炭砿(株)設立 連系会社・業界・一般
PAGE TOP