東京海上火災保険(株)『東京海上火災保険株式会社六十年史』(1940.10)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正7年(1918) - 【渋沢栄一】渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(竜門社)刊行。〔78歳〕 渋沢関係略年譜
4月5日 資本金一千五百万円に対する第二回四分の一払込を徴することに決す。
5月11日 北米合衆国支店(U.S.Fire Branch)を設置す。
9月20日 東京海上ビルディング(旧館)新築落成す。
大正8年(1919) - 【渋沢栄一】アメリカ合衆国政府より日米船鉄交換争議の仲裁人を委嘱される。財団法人協調会創立・副会長。〔79歳〕 渋沢関係略年譜
6月23日 監査役小川〓[金+冉]吉氏逝去す。
大正9年(1920) - 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
1月6日 取締役三村君平氏逝去す。
1月9日 監査役瓜生震氏逝去す。
1月26日 堀達、桐島像一の両氏監査役に就任す。
10月18日 取締役小室三吉氏逝去す。
大正10年(1921) - 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 渋沢関係略年譜
2月9日 取締役近藤廉平氏逝去す。
4月28日 資本金を金三千万円(内半額払込済)に増資す。//取締役荘田平五郎氏、監査役桐島像一夫々退任し、桐島像一、間島与喜、山成喬六の三氏取締役に、玉江文太郎氏監査役に夫々就任す。
大正11年(1922) - 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 渋沢関係略年譜
4月14日 資本金払込未済額全額徴収のことを決議す。
8月8日 紐育市に同州法に基き、スタンダード・インシュアランス社を設立、開業す。
大正12年(1923) - 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 渋沢関係略年譜
4月4日 取締役阿部泰蔵氏退任す。
4月20日 第六十三期定時株主総会に於て、傷害、盗難、風水害、硝子、家畜、汽機汽缶、火災後休業、一揆暴動、同盟罷業、雇主責任及び航空の各種保険をも兼営のことを決議す。//串田万蔵、木村久寿弥太の両氏取締役に就任す。
9月1日 取締役佐々木慎思郎並に同園田孝吉の両氏震災の為逝去す。
12月19日 臨時株主総会を開催し、関東大震災に関する火災保険問題の善後処置は取締役に一任のことを決議す。
大正13年(1924) - 【渋沢栄一】財団法人日仏会館創立・理事長。東京女学館・館長。〔84歳〕【竜門社】財団法人竜門社となる。 渋沢関係略年譜
3月1日 自力一律一割見舞金支払を開始す。
8月16日 森林火災保険を普通火災保険の特約として経営することに付事業方法書その他の変更認可さる。
大正14年(1925) - 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 渋沢関係略年譜
4月22日 取締役会長末延道成氏会長を、専務取締役各務鎌吉並に平生釟三郎の両氏専務取締役を退任し、各務鎌吉氏取締役会長に、木村林次郎氏専務取締役に、鈴木祥枝氏取締役に就任す。
大正15年(1926) - 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 渋沢関係略年譜
3月15日 福岡駐在所を開設す。
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