※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正8年(1919) | - | 【渋沢栄一】アメリカ合衆国政府より日米船鉄交換争議の仲裁人を委嘱される。財団法人協調会創立・副会長。〔79歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
8月4日 | 二代安田善四郎社長に就任 | 安田生命 | |
8月 | 部制を廃止し副支配人をおく | 安田生命 | |
大正9年(1920) | - | 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
1月1日 | 地方募集員制を実施 | 安田生命 | |
1月10日 | 国際連盟発足 | 業界・一般 | |
3月15日 | 株式・商品市場暴落、戦後恐慌始まる | 業界・一般 | |
6月 | 保有契約高1億円達成 | 安田生命 | |
7月 | 特別代理店制および独立代理店制を実施 | 安田生命 | |
10月1日 | 簡易保険局官制施行//第1回国勢調査実施(5,596万人) | 業界・一般 | |
12月1日 | 当社の姉妹会社として安田生命保険株式会社認可申請、無診査保険を専門に営業を計画したが、のちに中止 | 安田生命 | |
大正10年(1921) | - | 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 | 渋沢関係略年譜 |
2月15日 | 本店を日本橋区鎧河岸に移転(3.5新築落成式挙行) | 安田生命 | |
9月28日 | 社祖・安田善次郎死去 | 安田生命 | |
11月11日 | 安田善之助、二代善次郎を襲名 | 安田生命 | |
大正11年(1922) | - | 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 | 渋沢関係略年譜 |
4月20日 | 年制、退職手当金制を定実施 | 安田生命 | |
7月1日 | 外勤員規程を制定 | 安田生命 | |
大正12年(1923) | - | 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 南洋諸島委任統治開始 | 業界・一般 | |
4月6日 | 所得税法一部改正公布(生命保険料年額200円まで課税所得から控除、大正13年度の所得税から適用) | 業界・一般 | |
7月 | 本店機構を10課制とする | 安田生命 | |
9月1日 | 関東大震災により本店および東京支店類焼 | 安田生命 | |
9月1日 | 関東大震災発生、東京・横浜の死者9万人余、損害55億円 | 業界・一般 | |
9月3日 | 本店および東京支店を麹町区永楽町に移転 | 安田生命 |