京浜急行電鉄(株)『京浜急行100年の歩み : 1898-1998』(1998.06)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治42年(1909) - 【渋沢栄一】古稀に際し多くの企業・団体の役員を辞任。渡米実業団を組織し団長として渡米。タフト大統領と会見。〔69歳〕【竜門社】組織を変更し、社則を改正。青淵先生の道徳経済合一説を広め実践する団体に性格を変える。 渋沢関係略年譜
10月1日 横浜電気鉄道と週絡運輸開始
10月16日 横浜鉄道(現、JR横浜線)との汽車電車連絡切符発売
明治43年(1910) - 【渋沢栄一】政府諮問機関の生産調査会創立・副会長。社団法人東京銀行集会所会長。〔70歳〕【竜門社】青淵先生の七十寿祝賀会を開催する。 渋沢関係略年譜
1月1日 『京浜遊覧案内』を発行(10銭)
3月31日 蒲田~穴守間の複線化工事竣工
7月15日 仲木戸付近、横浜鉄道との立体交差化工事竣工
8月5日 青木正太郎が取締役社長に就任
明治44年(1911) - 【渋沢栄一】日露協会評議員。維新史料編纂会委員。財団法人済生会設立、顧問・評議員。勲一等に叙され瑞宝章を授与される。〔71歳〕 渋沢関係略年譜
3月1日 日本初の洋風劇場、帝国劇場が開場 [一般事項]
4月1日 六郷川鉄橋開通
7月5日 羽田遊泳場開設
8月 初の3扉車(90人乗り)25号形3両新造
明治45年(1912) - 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 渋沢関係略年譜
5月24日 福利共済事業として「一心会」発足
大正2年(1913) - 【渋沢栄一】伯剌西爾拓植株式会社創立準備委員。日本結核予防協会創立・副会頭(後に会頭)。中国興業株式会社(後の中日実業)創立、相談役。日本実業協会創立・会長。帝国飛行協会成立、評議員。〔73歳〕 渋沢関係略年譜
7月1日 大森変電所、鶴見変電所の運転開始
12月31日 穴守停留場移設により穴守線延長
大正3年(1914) - 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 渋沢関係略年譜
4月7日 鶴見花月園開園
5月1日 生麦住宅地の販売開始
7月28日 第1次世界大戦始まる [一般事項]
12月20日 東京駅開業 [一般事項]
12月20日 院線東京~高島町間に京浜線電車開通 [一般事項]
大正4年(1915) - 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 渋沢関係略年譜
10月12日 手動式の閉そく信号機完成(2灯式)
大正7年(1918) - 【渋沢栄一】渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(竜門社)刊行。〔78歳〕 渋沢関係略年譜
6月28日 安田善三郎が取締役社長に就任
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