(株)虎屋『虎屋の五世紀 : 伝統と革新の経営. 通史編』(2003.11)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
慶応3年(1867) - 【渋沢栄一】将軍名代・徳川昭武に従ってフランスへ出立、パリ万国博覧会などを視察。〔27歳〕 渋沢関係略年譜
10月14日 大政奉還 業界・一般事項
明治元年(1868) - 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 渋沢関係略年譜
9月27日 光保が明治天皇東京行幸途中で、名古屋のつくは祢屋の菓子調進に川端道喜とともに立ち会う 当社事項
1868年 - 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 渋沢関係略年譜
9月 光保が明治天皇の東京行幸に同行 当社事項
- ●明治維新 業界・一般事項
- ●上菓子屋仲間廃止、菓子屋仲間結成(虎屋ほか禁裏御用菓子屋は未加入) 業界・一般事項
明治2年(1869) - 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 渋沢関係略年譜
3月7日 東京遷都 業界・一般事項
3月26日 光保が神田小川町安部勘十郎屋敷に出張所を開設(後に伝奏屋敷を経て南町へ移転) 当社事項
- ●文英堂(現木村屋総本店)創業、パンを製造販売 業界・一般事項
- ●この頃、幕府御用菓子屋の大久保主水・鯉屋山城・金沢丹後や名店の鈴木越後ら閉店 業界・一般事項
明治4年(1871) - 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 渋沢関係略年譜
2月9日 14代光景誕生 当社事項
7月14日 廃藩置県 業界・一般事項
明治6年(1873) - 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 渋沢関係略年譜
1月1日 太陽暦使用開始 業界・一般事項
- ●『万宝珍書』に9種類の洋菓子の製法あり 業界・一般事項
明治7年(1874) - 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 渋沢関係略年譜
- ●木村屋があんぱんを売り出す 業界・一般事項
明治9年(1876) - 【渋沢栄一】東京府瓦斯局事務長。養育院事務長。深川福住町(現在の東京都江東区永代)に転居。〔36歳〕 渋沢関係略年譜
- ●光保没、長男茂太郎が光保を名乗り東京出張所相続 当社事項
明治10年(1877) - 【渋沢栄一】択善会創立(後に東京銀行集会所・会長)。王子西ヶ原に別荘を建てはじめる。〔37歳〕 渋沢関係略年譜
2月15日 西南戦争始まる 業界・一般事項
8月21日 第1回内国勧業博覧会が東京で開催 業界・一般事項
明治11年(1878) - 【渋沢栄一】東京商法会議所創立・会頭(後に東京商業会議所・会頭)。〔38歳〕 渋沢関係略年譜
3月15日 12代光正が上京(~4.10) 当社事項
9月16日 12代光正が上京(~10.6) 当社事項
明治12年(1879) - 【渋沢栄一】東京海上保険会社創立。北豊島郡西ケ原村(現在の東京都北区西ケ原)に別荘(飛鳥山邸、翌年曖依村荘と命名)を構える。グラント将軍(元アメリカ大統領)歓迎会(東京接待委員総代)。養育院院長。〔39歳〕 渋沢関係略年譜
3月25日 12代光正が京都より京橋区元数寄屋町4丁目1番地へ移住、店舗を開設(9.14に赤坂区赤坂表2丁目1番地へ移転) 当社事項
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