帝蚕倉庫(株)『帝蚕倉庫三十五年史』(1964.11)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和5年(1930) - 【渋沢栄一】明治神宮外苑聖徳記念絵画館に壁画献納。財団法人楽翁公遺徳顕彰会会長。〔90歳〕 渋沢関係略年譜
3月8日 糸価を安定させるため、政府は糸価安定融資補償法の発動を声明した。○ 間接関連事項
3月22日 強制共同保管の申告が完了となり、四月十六日この貸出は打切られた。保管生糸はそのまま滞貨となった。○ 間接関連事項
3月22日 当倉庫は補償生糸保管倉庫に指定された。その後本庫だけでは滞貨を収容しきれず漸次他の数会社の倉庫を借庫して保管した。
4月5日 補償生糸の融資貸出が始まり、六月十日打切りとなった。補償生糸はそのまま滞貨となった。○ 間接関連事項
6月25日 帝国蚕糸株式会社は、共同保管生糸及び補償生糸の缶詰作業を開始し、六年二月十八日に終了した。○ 間接関連事項
昭和6年(1931) - 【渋沢栄一】癩予防協会会頭・理事。11月11日永眠。〔91歳〕【渋沢敬三】東京貯蓄銀行会長に就任。 渋沢関係略年譜
3月28日 輸出生糸検査法中一部改正法律公布。この改正法律により昭和七年一月一日より輸出生糸全部に品位格付検査が実施された。○ 間接関連事項
4月9日 帝蚕稲荷の鎮座祭を行う。
8月4日 生糸貯蔵棚の新設に着手した。
昭和7年(1932) - 【竜門社】第一次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。【渋沢敬三】第一銀行常務取締役就任。 渋沢関係略年譜
6月30日 糸価安定融資担保生糸買収法、糸価安定融資損失善後処理法公布。滞貨(共同保管生糸、補償生糸)は全部一括して政府が買収することとなった。○ 間接関連事項
昭和9年(1934) - 【渋沢敬三】日本民族学会理事就任。 渋沢関係略年譜
4月7日 輸出生糸取引法公布。輸出生糸問屋の免許制度と輸出生糸取引を登録する制度が確立した。○ 間接関連事項
昭和10年(1935) - 【渋沢敬三】日本女子大学評議員就任。 渋沢関係略年譜
4月6日 倉庫業法(旧)公布。倉庫証券発行の許可制が確立した。
昭和11年(1936) - 【竜門社】第二次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。 渋沢関係略年譜
4月28日 創立後満十周年を記念し株主に増加配当を行い、祝賀会を開催した。
9月 滞貨保管のため他の会社から借入れた借庫を漸次返還しつつ整理をしていった。
昭和12年(1937) - 【竜門社】財団法人渋沢青淵翁記念会が、小畑久五郎著“An Interpretation of the Life of Viscount Shibusawa”を刊行する。 渋沢関係略年譜
1月29日 取締役社長加賀山辰四郎は社長を退任し、芳賀権四郎が取締役社長に、木村賛夫が専務取締役に就任した。
3月30日 糸価安定施設法及び糸価安定施設特別会計法公布。糸価の異常の騰貴または異常の低落の防止を図り斯業を安定し健全の発達を期するにあった。○ 間接関連事項
6月29日 糸価安定施設法の運用機関として糸価安定施設組合が設立された。○ 間接関連事項
8月14日 倉庫業法に基き倉庫証券発行の許可を商工大臣に申請した。(一五年八月二七日許可された。)
昭和13年(1938) - 【渋沢敬三】国民貯蓄奨励委員会委員。 渋沢関係略年譜
2月21日 生糸保存袋を設備した。
3月31日 国家総動員法公布。
昭和14年(1939) - 【竜門社】財団法人渋沢青淵翁記念会と共催で「青淵先生生誕百年記念祭」を挙行する。日本実業史博物館建設地鎮祭を挙行する。 渋沢関係略年譜
10月30日 定款中営業目的の追加を決議し、保管物件生糸絹物及び蚕糸副産物の下に「其ノ他」を加え蚕糸類以外の貨物を保管する途を開いた。
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