※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和20年(1945) | - | 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 | 渋沢関係略年譜 |
11月 | D号倉庫の接収解除を受けた。差当りは大部分を横浜生糸検査所等が使用した。 | ||
12月1日 | 倉庫営業を復元し、D号倉庫の一部において保管業務を再開した。その後必要に応じ他の倉庫の一室づつ進駐軍に解除を申立て保管を拡張し、なお本町国民学校より仮事務所をC号倉庫の二階第四号室に移した。日本倉庫統制株式会社の営業は解消した。 | ||
昭和21年(1946) | - | 【竜門社】財団法人竜門社、財団法人渋沢青淵翁記念会が合同して渋沢青淵記念財団竜門社となる。【渋沢敬三】公職を追放さる。本邸は大蔵省に官邸として貸与、のち財産税にて敷地とともに物納。 | 渋沢関係略年譜 |
7月8日 | 生糸絹物専用倉庫の貸借期間を更に十箇年延長する覚書を政府と交換した。 | ||
昭和22年(1947) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』670号を復刊する。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | A号、B号、C号、D号の四棟の倉庫が完全に接収解除となった。二十年十一月D号倉庫の解除に始まり必要に迫られた都度部分的に幾度かに解除が行われてきたがここに全部の解除が完了した。 | ||
4月1日 | 事務所として横浜生糸検査所庁舎の一階の一部を借受け設置した。 | ||
4月1日 | 生糸絹物専用倉庫等の政府の賃貸料が五倍の値上げとなった。 | ||
4月 | 従業員組合結成。(三二年四月労働組合と改称。) | ||
6月9日 | 蚕糸復興祭が行われた。 | ||
10月28日 | 商号を帝蚕倉庫株式会社と改称した。 | ||
昭和23年(1948) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』677号をもって廃刊する。 | 渋沢関係略年譜 |
2月10日 | E号倉庫及びF号倉庫の建設竣成。 | ||
3月 | 本町倉庫を三菱商事株式会社より買収した。 | ||
5月6日 | 貞明皇后陛下倉庫現場を御視察あらせらる。 | ||
5月21日 | 山下町用地(蚕糸副産物倉庫の焼跡)の接収を解除された。 | ||
8月27日 | 事業者団体法の施行に伴い定款中必要の改正を行った。 | ||
8月 | 未払込株金(四分の三)を徴収した。 | ||
昭和24年(1949) | - | 【竜門社】政府より曖依村荘が無償返還されることになる。財団法人社会教育協会に依頼して、機関誌『竜門雑誌』を継承する機関誌『青淵』を創刊する。曖依村荘全敷地の約3分の2を売却する。 | 渋沢関係略年譜 |
1月13日 | 倉庫事務所の接収を解除された。 | ||
3月31日 | 事務所を横浜生糸検査所から移転し本拠に復元した。 | ||
4月1日 | 生糸絹物専用倉庫等の政府の賃貸料が三倍の値上げとなった。 | ||
4月30日 | 堀内重忠が専務取締役に就任した。 | ||
10月29日 | 資本を増加し総額二十万株一千万円とすることに決定し、二十五年九月実施した。 |