日本電信電話公社東京電気通信局『東京の電話 : その五十万加入まで. 上』(1958.07)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治5年(1872) - 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 渋沢関係略年譜
2月 「東京日日新聞」創刊(毎日新聞前身) 社会一般
9月12日 新橋・横浜間、鉄道開通(5・9・12~新10・14―鉄道記念日) 東京のうごき
12月6日 太陽暦採用(明5・12・6を明6・1・1とした) 社会一般
- 乗合馬車、新橋・浅草雷門間走る 東京のうごき
- 東京の人口八〇万 東京のうごき
- 東京・大阪間、電信開通 東京のうごき
明治6年(1873) - 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 渋沢関係略年譜
4月 工部省電信寮に製機所設置、電信機器の製造開始 日本の電話
12月 葉書発行 東京のうごき
- 上野・浅草・芝・深川・飛鳥山五社寺境内を公園に指定 東京のうごき
明治7年(1874) - 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 渋沢関係略年譜
11月 「読売新聞」創刊 社会一般
12月18日 ガス灯、初めてつく 東京のうごき
- 人力車三万台に達す 東京のうごき
- 駅逓寮、内務省所管となる 日本の電話
明治8年(1875) - 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 渋沢関係略年譜
- 屋内呼鈴(電気)使用 東京のうごき
- ベル(米)微弱音の伝送に成功(電話機発明の端緒) 社会一般
明治9年(1876) - 【渋沢栄一】東京府瓦斯局事務長。養育院事務長。深川福住町(現在の東京都江東区永代)に転居。〔36歳〕 渋沢関係略年譜
3月10日 ベル(米)電話発明 社会一般
3月28日 佩刀禁止 社会一般
9月5日 京都・大阪間、鉄道開通 社会一般
9月 ボストン・ケンブリッジ間三キロの通話に成功 社会一般
10月 イギリス、電話機輸入 社会一般
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