日本製粉(株)『日本製粉社史 : 近代製粉120年の軌跡』(2001.04)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正2年(1913) - 【渋沢栄一】伯剌西爾拓植株式会社創立準備委員。日本結核予防協会創立・副会頭(後に会頭)。中国興業株式会社(後の中日実業)創立、相談役。日本実業協会創立・会長。帝国飛行協会成立、評議員。〔73歳〕 渋沢関係略年譜
12月 30-40%の生産制限実施(約1年間) 当社関連事項
12月 関東3社(日本、日清、東亜)30~40%の生産制限(約1年間) 業界・社会一般事項
大正3年(1914) - 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 渋沢関係略年譜
6月1日 輸出小麦粉用原料輸入、100斤につき70銭の戻税 業界・社会一般事項
7月28日 第1次世界大戦始まる 業界・社会一般事項
8月23日 対独宣戦布告(日本、第1次世界大戦に参戦) 業界・社会一般事項
12月15日 久留米工場竣工(福岡県久留米市荘島町字新町330番地、アリス・チャーマー社製600バーレル) 当社関連事項
- 日本、日清、増田、大里、東亜の5社で全国製粉業聯合会結成 業界・社会一般事項
大正4年(1915) - 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 渋沢関係略年譜
1月11日 久留米支店(久留米工場内)設置 当社関連事項
4月21日 操業休止協定に基づき関東所在工場の運転休止を決定(6月1日―7月15日休止) 当社関連事項
4月21日 関東3社(日本、日清、東亜)1ヵ月半操業休止協定締結 業界・社会一般事項
4月 大里製粉所工場(1600バーレル)焼失 業界・社会一般事項
11月 戻税率小麦粉100斤につき1円に改定 業界・社会一般事項
12月28日 京都製粉所(旧朝日製粉)、東洋製粉株式会社に改組(資本金50万円、200バーレル) 業界・社会一般事項
- 夏以降、戦争景気始まる 業界・社会一般事項
- この年、小麦粉輸出高(15万トン)前年の9倍余に上る。北米大陸からの小麦輸入激減につれて、中国が主要輸入国となる。国内小麦生産は需給逼追を反映して急増(~6年) 業界・社会一般事項
大正5年(1916) - 【渋沢栄一】海外植民学校顧問。日米関係委員会創立・常務委員。第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。理化学研究所創立委員長。喜寿記念として第一銀行が玉川清和園に記念館誠之堂建設。渋沢栄一述『論語と算盤』(東亜堂書房)刊行。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
1月8日 竹村弟二工務長、米国視察 当社関連事項
7月 本・支店各工場機械増設完了、運転開始 当社関連事項
12月21日 第40回定時株主総会。300万円に増資決議 当社関連事項
- この年、小麦粉輸出は世界的小麦凶作もあって依然増勢。この頃から水車製粉衰退(小麦の商品化の推進、農家自家消費減少)、水車製粉能力本年末推定3600バーレル(大戦前推定6000バーレル) 業界・社会一般事項
大正6年(1917) - 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。飛鳥山邸(曖依村荘)に晩香廬落成、喜寿の祝いに合資会社清水組より贈られる。〔77歳〕 渋沢関係略年譜
2月18日 本店を東京市麹町区八重洲町1丁目1番地(三菱25号館)に移転。東扇橋所在工場は扇橋工場として本店から独立。小名木川、砂村両分工場は小名木川工場、砂村工場に改称 当社関連事項
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