※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正6年(1917) | - | 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。飛鳥山邸(曖依村荘)に晩香廬落成、喜寿の祝いに合資会社清水組より贈られる。〔77歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | ●この頃から、日本人の宿泊、宴会などの誘致盛んになる。 | ||
大正8年(1919) | - | 【渋沢栄一】アメリカ合衆国政府より日米船鉄交換争議の仲裁人を委嘱される。財団法人協調会創立・副会長。〔79歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
12月8日 | 京都ホテル社主井上喜太郎死去(67歳)。 | ||
- | ●第一次世界大戦の終結により、京都の外国人観光客回復に向かう。 | ||
大正9年(1920) | - | 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
4月17日 | イギリス国会議長サー ジョン サントルス氏、夫人らと共に来館。 | ||
- | ●この年の入洛外国人客、8292人(数年来の最高記録)。 | ||
大正10年(1921) | - | 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 | 渋沢関係略年譜 |
11月3日 | 北白川宮成久王殿下、ご来館。 | ||
12月5日 | 高橋是清首相、就任報告で桃山御陵参拝。京都ホテルで晩餐。 | ||
大正11年(1922) | - | 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 | 渋沢関係略年譜 |
2月5日 | フランス答礼大使ジョッフル元帥夫妻、令嬢、来館。 | ||
4月27日 | 入洛中のプリンス オブ ウェールズ英国皇太子殿下、京都ホテルに来館。 | ||
5月21日 | 駐日フランス大使クローデル氏、来館。 | ||
大正13年(1924) | - | 【渋沢栄一】財団法人日仏会館創立・理事長。東京女学館・館長。〔84歳〕【竜門社】財団法人竜門社となる。 | 渋沢関係略年譜 |
3月31日 | 後藤新平子爵、来館。 | ||
11月28日 | シャム皇帝、同妃両殿下、来館。 | ||
大正14年(1925) | - | 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 | 渋沢関係略年譜 |
1月7日 | 伏見宮知子女王殿下、ご来館。 | ||
9月28日 | 京都ロータリー倶楽部発会式(会長武田伍一、副会長竹上藤次郎、幹事井上武夫)、京都ホテルで開催。 | ||
11月1日 | インドのダランプール州王族マハラジャ ウゾ ララマク王妃、王女、来館。 | ||
12月16日 | 大丸呉服店社長下村正太郎、京都ホテルで結婚披露宴を挙行、500名余りが参列。(ホテルでの結婚披露宴のはしり)。 | ||
大正15年(1926) | - | 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 京都ホテル新館着工(昭和3年完成。請負先は合資会社清水組。金額51万円)。 | ||
4月 | 井上武夫、京都ホテルの株式会社化計画を発表。 | ||
10月28日 | 救世軍ブース大将、来館。 | ||
11月12日 | 汎太平洋会議の一行185名が京都・都両ホテルに分宿。 |