(株)講談社『講談社の80年 : 1909~1989』(1990.07)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治42年(1909) - 【渋沢栄一】古稀に際し多くの企業・団体の役員を辞任。渡米実業団を組織し団長として渡米。タフト大統領と会見。〔69歳〕【竜門社】組織を変更し、社則を改正。青淵先生の道徳経済合一説を広め実践する団体に性格を変える。 渋沢関係略年譜
- ○流行歌 金色夜叉《やしゃ》・ローレライ・菩提樹《ぼだいじゅ》。 この年
- ○流行語 ハイカラ(ハイカラ節が流行したことから)。 この年
明治43年(1910) - 【渋沢栄一】政府諮問機関の生産調査会創立・副会長。社団法人東京銀行集会所会長。〔70歳〕【竜門社】青淵先生の七十寿祝賀会を開催する。 渋沢関係略年譜
1月23日 逗子開成中学校のボート部員ら13名、七里ケ浜で遭難。哀悼歌「七里ケ浜」(「真白き富士の嶺」)で知られる。 一般歴史年表
1月29日 東京書籍商組合・中等教科書協会、教科書の注解書・練習問題の解答書の続出阻止のため、教科用図書の字引注解書類の発行の禁止条項を著作権法に加える請願書、内務大臣に提出。 マスコミ出版年表
1月31日 書籍出版業を課税対象とする営業税法改正に猛反対運動。 マスコミ出版年表
2月11日 「雄弁《ゆうべん》」創刊。発行所は大日本図書(株)(月刊、菊判、204ページ、定価20銭)。好評増刷し3刷まで1万4000部を発行(→明44.11.3、→昭16.10.―)。印刷・製本・販売等は大日本図書に一任し、編集費として1000部につき30円を受け取る契約であった。社員は野間清治《せいじ》のほかに2名(井沢弘・安元実発)、さらに手伝い2名、そして出入りの学生数名の協力で「雄弁」は編集された。野間左衛《さえ》(清治夫人)は、小学校奉職のかたわら会計を担当した。 講談社年表
2月 「雄弁」創刊。 〔野間清治年譜(2)〕
3月13日 立憲国民党結成。 一般歴史年表
3月19日 衆議院、原敬《たかし》・鳩山《はとやま》和夫ら提出の「学制改革に関する建議」を可決。学制改革論議沸騰。 一般歴史年表
3月27日 東武鉄道、浅草~伊勢崎間全通。 一般歴史年表
3月28日 文部省、新国定教科書の編集主旨を訓令。翌月より使用。 マスコミ出版年表
4月15日 東京の白米商、不正枡《ます》使用で大量検挙。 一般歴史年表
4月16日 予約出版法公布。届出、保証金制度を規定。 マスコミ出版年表
4月 「雄弁」4月号に、扉もふくめ5ページの綴じこみ付録「雄弁術」が初めてつく。 講談社年表
5月1日 夜間電話利用開始。 一般歴史年表
5月14日 ロンドンで日英博覧会開く。 一般歴史年表
5月19日 ハレー彗星《すいせい》接近、人心動揺。 一般歴史年表
5月25日 大逆《たいぎゃく》事件。社会主義者の大検挙始まる。宮下太吉ら逮捕。 一般歴史年表
5月28日 朝鮮統監府、出版規則を発布、即日施行。 マスコミ出版年表
6月1日 幸徳秋水、湯河原で逮捕。 一般歴史年表
PAGE TOP