(株)神戸新聞社『神戸新聞五十五年史』(1953.07)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和19年(1944) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 渋沢関係略年譜
7月13日 編集局を新館二階へ、製版部を同二階北側へ移した。
7月19日 サイパンの全員戦死を報じた。
7月22日 小磯内閣成立を報じた。
7月23日 本社主催米穀増産部落成績競進会褒賞授与式(県議事堂)
7月31日 本社の全額負担で全従業員の戦争死亡傷害保険を契約した。
8月11日 九州西北部並に山陰空襲を報じた。
8月26日 新聞用紙生産増強勤労奉仕隊員として藪清一郎を北海道苫小牧町王子製紙工場に派遣した。続いて後藤義夫を派遣した。
9月1日 臨時株主総会を開き取締役一名補欠、取締役二名、監査役一名増員可決、取締役社長に朝倉斯道、取締役に松末盛計、篠原菊治、監査役に延原靖選任。朝倉社長会社代表となった。従業者傷病救護規程並に施行細則を実施した。退職金給与規程を改正実施した。
9月18日 一週十八ぺージ建となる。
9月25日 支局長会を開き朝倉社長挨拶の上十月一日より実施の総合編集につき説明した。
9月26日 第六回物故社員追用法要を須磨寺本坊で修めた。
10月1日 総合編集実施。
10月9日 新聞定価本月分から一ヶ月一円五十銭に値上。
10月17日 レイテ島米軍上陸を報じた。
11月1日 B29東京初空襲を報じた。一週十四ページ建となりついに常二ページ建の最悪事態に達した。
11月10日 汪精衛逝去を報じた。名古屋空襲を報じた。
11月24日 B29東京初空襲を報じた。
12月1日 人事異動発令、橋本幸夫を業務局次長兼広告部長、土井完治を普及部長とした。
12月8日 太平洋戦争三周年特集のため四ぺージ。
12月12日 歳末義金募集絵画即売会を大丸で十七日まで開いた。
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