(株)神戸新聞社『神戸新聞五十五年史』(1953.07)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和19年(1944) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 渋沢関係略年譜
12月15日 企画局次長延原靖を編集局調査部長兼務とした。
12月20日 第二十七回定時株主総会、昭和十九年下半期決算(年六分配当)可決。
昭和20年(1945) - 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 渋沢関係略年譜
1月1日 二ページ。祝賀式を新館編集局で行い、祝宴を三階で開いた。
1月4日 B29神戸初空襲。
1月15日 大本営発表、十四日B29伊勢外宮に投弾を報じた。
2月11日 創刊四十七周年記念式を社内に挙げ永年勤続者二十年三名、十年十名を表彰した。金婚夫婦表彰式を湊川神社で行い七十七組を表彰した。
3月1日 日本新聞公社設立。
3月17日 B29大挙神戸市爆撃、本社本館、別館、新館残らず焼失したが新聞紙の使命に鑑み市庁舎二階新聞記者室並に別館三階を借入れ仮事務所とし戦時災害相互援助協約により朝日新聞社の援助を求め同社の施設を利用、一日も休刊せず発行し使命を遂行した。発送課員松本敏夫爆死、行方不明二名、負傷五名を生じた。この戦災を契機として小説の掲載を中止した。
3月18日 朝日新聞社に出張せる本社機関との連絡上西灘国民学校に仮事務所を置いた。臨時役員会を市役所内仮事務所で開き対策を協議した。
3月20日 本社罹災者調査の結果罹災家庭八十一世帯に達した。
3月25日 戦災後最初の支局長会を市役所別館仮事務所で開いた。
4月1日 新聞用紙配給さらに一割減少。
4月2日 戦災時の防空並に戦災後社務に活動せるものに対し朝倉社長より特賞を授与した。
4月5日 小磯内閣総辞職を速報した。
4月7日 本社仮事務所として神港ビル借入。鈴木内閣成立を速報した。
4月10日 本社仮事務所を海岸通神港ビル一階に移した。
4月11日 朝倉社長、田中専務、朝日新聞を訪問挨拶を述べ同社に在る本社編集局員らを激励した。
4月18日 調査部復興のため郷土史料の入手を支局通信部に求め図書史料取り集めに着手。
4月20日 本社を海岸通八(神港ビル)に移転した。(二十六日登記完了)工場復興計画を立て輪転機を神港ビル地下室に据付け、一面疎開工場を飾磨郡四郷村国民学校に設けることとし準備に着手した。
4月25日 支局長会を編集局別室で開いた。
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