※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治34年(1901) | - | 【渋沢栄一】大阪瓦斯会社監査役。東京・飛鳥山邸を本邸とする。京釜鉄道株式会社取締役、後に取締役会長。茨城採炭株式会社創立、相談役。〔61歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 山手線、赤羽・品川間開通 | 社会一般 | |
4月 | 東京日日、大阪毎日、東京朝日の三紙、「案内広告欄」開設 | 広告界 | |
4月 | 大阪第七十九銀行、難波銀行支払い停止、中部地方以西に金融恐慌波及 | 社会一般 | |
4月 | 皇孫迪宮裕仁親王(現天皇)ご誕生 | 社会一般 | |
5月 | 伊藤内閣総辞職 | 社会一般 | |
6月 | 第一次桂太郎内閣成立 | 社会一般 | |
6月 | 清国孫逸仙(孫文)日本に亡命 | 社会一般 | |
6月 | 星亨東京市長刺殺される | 社会一般 | |
7月1日 | 日本広告株式会社(資本金十万円)と電報通信社を創立、日向輝武、取締役会長に、山崎嘉太郎、専務取締役に、創立企画者の光永星郎は、権藤震二とともに取締役となる。社員十余名、社屋は京橋区弥左衛門町(銀座四丁目) | 電通 | |
7月 | 白木屋、中元売出し広告に値段を明記、注目をひく | 広告界 | |
7月 | 黒岩涙香、理想団を結成 | 社会一般 | |
9月 | 北海タイムス(現・北海道新聞)創刊 | 広告界 | |
10月 | アメリカでの外債六千万円募集不成立で株式界混乱、銀行の解散、集中進む | 社会一般 | |
11月 | 上野精養軒で創立披露会を開く | 電通 | |
11月 | 岩谷天狗と村井商会のたばこ宣伝戦盛んとなる | 広告界 | |
11月 | 京浜電車内の広告開始 | 広告界 | |
12月 | 田中正造、足尾銅山鉱毒事件で直訴 | 社会一般 | |
- | この年、赤玉ポートワイン、森下の「毒滅」などの広告はじまる | 広告界 | |
明治35年(1902) | - | 【渋沢栄一】合名会社中井商店顧問。清韓協会設立・幹事長。京仁鉄道合資会社取締役社長。兼子夫人同伴で欧米視察。ルーズベルト大統領と会見。〔62歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 元旦仕事始め午前三時の慣行はじまる | 電通 | |
1月 | 健(心身の健康)根(不撓の努力)信(業務への誠実)の三語をモットーとする | 電通 |