※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正10年(1921) | - | 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 | 渋沢関係略年譜 |
10月14日 | 臨時付録「鉄道50年記念号」4ページを発行 | 本社 | |
10月14日 | 在米の不破安雄、花田準一の両氏を太平洋会議取材のためワシントンに特派委嘱する | 本社 | |
10月21日 | 「実業版北海道号」を特集。12ページとして発行 | 本社 | |
10月22日 | 柳原白蓮(燁子)炭鉱王の夫伊藤伝右衛門と別れ、宮崎竜介と結ばれる | 一般 | |
11月2日 | 英新聞王ノースクリフト来日 | マスコミ | |
11月4日 | 東京駅頭で中岡艮一に、原首相刺殺される(安政3年生まれ、65歳)翌5日内閣総辞職。13日高橋是清、組閣完了 | 一般 | |
11月5日 | 「滋賀日日新聞」創刊。昭和31年3月「江州日日新聞」と改題 | マスコミ | |
11月12日 | ワシントン会議(軍縮)開催 | 一般 | |
11月15日 | 「華盛頓会議号」を特集。犬養毅ほかの発言、各国代表の紹介など掲載。ワシントン会議を中心として対外問題への発言論説、この年はきわ立って多い | 本社 | |
12月1日 | 時事新報、夕刊、日英同盟廃棄にかわる米仏を加えた4国協定成立のニュースをスクープ。世界的に話題となる | マスコミ | |
12月15日 | 華盛頓特派員不破安雄の華府会議通信のる(~12.18) | 本社 | |
12月21日 | 鈴木茂三郎を本社特派員として露国へ派遣と発表 | 本社 | |
12月22日 | 殷汝耕「華盛頓会議と日支今後の関係、解決方法がある」(~12.23、2回) | 本社 | |
12月24日 | 第45通常議会召集(12.26開会、11.3.25閉会) | 一般 | |
12月24日 | 鈴木茂三郎のワルシャワからの第1報「赤露に入らんとして」掲載(~12.27、4回) | 本社 | |
12月25日 | 皇太子裕仁親王、摂政となられる | 一般 | |
12月31日 | 歳末休刊とせず年中無休刊を今後の例とすと社告 | 本社 | |
12月 | 銀座通りの柳を銀杏に植えかえ完了。歩道の赤煉瓦《れんが》も木煉瓦となる | 一般 | |
12月 | 〈船頭小唄〉―枯れすすき―流行 | 一般 | |
大正11年(1922) | - | 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 | 渋沢関係略年譜 |
1月1日 | 「日曜附録」に岡鬼太郎「嫌疑者文芸、上場脚本の検閲に就て」を掲げ、その実例として、「貴下の創作、脚色、監督に成った劇作(台本並びに実演を含む)に関して其の筋から不合理な干渉を受けた実例をご教示下さい」の回答を連載(~1.21、24人)。1.30「月曜附録」に中村吉蔵「脚本検閲の過去と将来」を掲げる | 本社 |