※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正11年(1922) | - | 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 | 渋沢関係略年譜 |
8月18日 | 政府緊縮政策で物価引き下げを発表 | 一般 | |
8月18日 | 寺内内閣が国論統一を名目に天皇直属の審議機関として設置した外交調査会を廃止 | 一般 | |
8月24日 | 特派員鈴木茂三郎のソ連通信「労農露西亜の国賓として」を連載(55回) | 本社 | |
8月28日 | 佐藤紅緑作、田中良画「荊の冠」(~12.3.12、189回) | 本社 | |
8月29日 | 米国にて、市川房枝「文明の汚辱人道の賊、米国に於ける私刑と反私刑議案」(~9.1、4回) | 本社 | |
8月 | ドイツのマルク価下落始まる | 一般 | |
9月8日 | 花田準一(紐育)からの通信「東京市政顧問として米国から来る珍客、ベアード博士の面影」を掲載(~9.10、3回)。このほか「米国市場に及ぼせる金輸出解禁運動」(10.19~10.22)、「米国総選挙の結果」(12.18~12.23、4回)などアメリカ通信多載 | 本社 | |
10月4日 | 上海、池田桃川「江南小品」(~11.8、24回) | 本社 | |
10月9日 | 学制50年の年に当たり、論説「学制記念の意義、革新の一階梯」を掲げ、続いて「教育を国民の手に」(10.17)、「教育に対する目的の動揺」(11.1)を論ずる | 本社 | |
10月30日 | 伊国王、ムソリーニに組閣を命令 | 一般 | |
11月17日 | カスリン・パアロア女史告別演奏会を有楽座で主催 | 本社 | |
11月18日 | 改造社の招待でアインシュタイン来日。相対性理論ブーム起こる | 一般 | |
11月20日 | 編物、文化刺しゅう、タッチングなどの家庭制作講習会を星製薬4階で主催(~11.22) | 本社 | |
11月25日 | 論説「考ふべき農村問題」を掲げ、12.2再論、12.7「農村問題と政党」を掲げ、農村問題をおろそかにしてはならないと力説 | 本社 | |
11月30日 | 創業期の編集長小石永井碌死去 | 本社 | |
12月25日 | 第46通常議会召集(12.27開会、12.3.26閉会) | 一般 | |
12月30日 | ソビエト社会主義共和国連邦(ソ連邦)成立 | 一般 | |
大正12年(1923) | - | 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月1日 | 鶴見祐輔「曾遊山河」(~1.9、7回) | 本社 | |
1月1日 | 須浜皓「陸軍行脚」(~1.7、5回) | 本社 | |
1月1日 | 菊池寛「文芸春秋」創刊。(文芸春秋社、芥川竜之介、久米正雄ら応援、大正15年総合雑誌となる。創刊号28ページ、10銭) | マスコミ |