(株)読売新聞社『読売新聞百二十年史』(1994.11)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和25年(1950) - 【渋沢敬三】ユニバーサル広告社社員(~1951年)。 渋沢関係略年譜
2月14日 中ソ友好同盟を締結 一般・マスコミ
2月16日 有限会社から株式会社へ改組(資本金を3倍の2430万円に増資、総株数243000株のうち38000株を社員に配分。務台光雄、取締役として復帰。株式会社の発足は6.1) 本社
2月23日 新聞監査局を設ける 本社
3月25日 ラジオカー、初めて取材陣に加わる 本社
4月1日 社会面に「USO放送」登場 本社
4月4日 1面に時事川柳欄を設ける。初代の選者は川上三太郎 本社
4月10日 英字商業紙「ジャパン・ニュース」本社と提携創刊 本社
4月22日 中日・西日本と共催のミス日本に山本富士子 本社
5月15日 社説「全面講和論者への警告」、単独講和論を宣明 本社
5月20日 朝日、社説で非武装中立論宣明 一般・マスコミ
5月24日 第1回読売文学賞(井伏鱒二「本日休診」など)発表 本社
6月25日 北朝鮮軍、38度線を越え南下、朝鮮戦争始まる 一般・マスコミ
6月30日 日本新聞労働組合連合を結成 一般・マスコミ
7月18日 「アカハタ」無期限に発行停止 一般・マスコミ
7月24日 新聞界へもレッドパージ勧告 一般・マスコミ
7月28日 レッドパージで社員34人を解雇 本社
8月10日 警察予備隊令を公布(8.23第1陣7000人入隊。自衛隊の前身) 一般・マスコミ
9月27日 朝日が伊藤律架空会見記 一般・マスコミ
10月5日 朝刊に都民版を設ける 本社
11月1日 婦人部が独立('43.12.19文化部に吸収されていた) 本社
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