※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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安政5年(1858) | - | 【渋沢栄一】従妹尾高千代(ちよ、尾高惇忠の妹)と結婚。〔18歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月 | 日米修好通商条約調印 | ||
文久元年(1861) | - | 【渋沢栄一】春、江戸に出て、海保漁村塾・千葉栄次郎道場に学ぶ。〔21歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 独、ドイツ商業会議所連合会(後のドイツ商工会議所連合会)設立 | ||
慶応2年(1866) | - | 【渋沢栄一】徳川慶喜、徳川宗家を相続(後に征夷大将軍)し、栄一は幕臣となる。〔26歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 改税約書調印 | ||
慶応3年(1867) | - | 【渋沢栄一】将軍名代・徳川昭武に従ってフランスへ出立、パリ万国博覧会などを視察。〔27歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 独、ハンブルグ商業会議所設立 | ||
明治元年(1868) | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 五ヵ条御誓文 | ||
5月 | 商法司設置、商法大意布達、株仲間の特権を廃止す、太政官札発行 | ||
- | 明治維新、王政復古 | ||
明治2年(1869) | - | 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 条約改正意向を各国公使に通告 | ||
6月 | 版籍奉還 | ||
8月 | 外務省を置く、商法司を廃し通商司を置く | ||
11月 | スエズ運河開通 | ||
明治3年(1870) | - | 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 日本集議院を開く | ||
7月 | 普仏戦争起る | ||
10月 | 工部省設置、鉱山、製鉄、鉄道等を管掌 | ||
- | 伊、ローマ商業会議所設立 | ||
明治4年(1871) | - | 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | 廃藩置県 | ||
10月 | 条約改正交渉等のため全権大使岩倉具視等を米国に派遺[遣]を決定、11月全権一行発程 | ||
明治5年(1872) | - | 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | 町会所を廃し、7月東京営繕会議所を置く、8月東京会議所に改編 | ||
- | 新橋、横浜間鉄道開通 | ||
明治6年(1873) | - | 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月 | 地租改正 |