(特)東京商工会議所『東京商工会議所八十五年史. 下巻』(1966.12)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
安政5年(1858) - 【渋沢栄一】従妹尾高千代(ちよ、尾高惇忠の妹)と結婚。〔18歳〕 渋沢関係略年譜
6月 日米修好通商条約調印
文久元年(1861) - 【渋沢栄一】春、江戸に出て、海保漁村塾・千葉栄次郎道場に学ぶ。〔21歳〕 渋沢関係略年譜
- 独、ドイツ商業会議所連合会(後のドイツ商工会議所連合会)設立
慶応2年(1866) - 【渋沢栄一】徳川慶喜、徳川宗家を相続(後に征夷大将軍)し、栄一は幕臣となる。〔26歳〕 渋沢関係略年譜
- 改税約書調印
慶応3年(1867) - 【渋沢栄一】将軍名代・徳川昭武に従ってフランスへ出立、パリ万国博覧会などを視察。〔27歳〕 渋沢関係略年譜
- 独、ハンブルグ商業会議所設立
明治元年(1868) - 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 渋沢関係略年譜
2月 五ヵ条御誓文
5月 商法司設置、商法大意布達、株仲間の特権を廃止す、太政官札発行
- 明治維新、王政復古
明治2年(1869) - 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 渋沢関係略年譜
2月 条約改正意向を各国公使に通告
6月 版籍奉還
8月 外務省を置く、商法司を廃し通商司を置く
11月 スエズ運河開通
明治3年(1870) - 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 渋沢関係略年譜
3月 日本集議院を開く
7月 普仏戦争起る
10月 工部省設置、鉱山、製鉄、鉄道等を管掌
- 伊、ローマ商業会議所設立
明治4年(1871) - 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 渋沢関係略年譜
7月 廃藩置県
10月 条約改正交渉等のため全権大使岩倉具視等を米国に派遺[遣]を決定、11月全権一行発程
明治5年(1872) - 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 渋沢関係略年譜
5月 町会所を廃し、7月東京営繕会議所を置く、8月東京会議所に改編
- 新橋、横浜間鉄道開通
明治6年(1873) - 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 渋沢関係略年譜
6月 地租改正
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