※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正11年(1922) | - | 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 | 渋沢関係略年譜 |
12月30日 | 取締役片倉直人を米国絹業視察として派遣す | 片倉製糸紡績株式会社 | |
12月 | 米国絹業協会より横浜外国人生糸屑糸商組合を経て注意あり左の如く改正す//一、米国新関税法に依り輸入商品は総て原産地国名を附し英語にて記すへきこと//一、生糸洋装の外面に「Made in Japan」の英語を以て必ず記すのみならず括包紙の表面にも同様記すへきこと | 片倉製糸紡績株式会社 | |
大正12年(1923) | - | 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月19日 | 監査役土橋源蔵欧米視察の途より無事帰朝す | 片倉製糸紡績株式会社 | |
2月11日 | 発明考案奨励規程 従業者勤続表彰規程 同勤続賞金規程制定す | 片倉製糸紡績株式会社 | |
2月11日 | 養蚕保全会を制定し、仙台及岩代製糸所部内に設定す(大正十四年廃止す) | 片倉製糸紡績株式会社 | |
3月12日 | 大邱製糸所所管(密陽、竜仁)蚕種製造所設置に決定す | 片倉製糸紡績株式会社 | |
3月31日 | 高鍋製糸所を閉鎖す | 片倉製糸紡績株式会社 | |
4月1日 | 福島県郡山町岩代絹糸紡績所を福島紡織株式会社に併合し之を日東紡績株式会社と改称創立す(資本金五百万円) | 片倉製糸紡績株式会社 | |
4月3日 | 九州蚕種株式会社蚕種製造経営の件を決議す(但し蚕卵紙には同会社名を附す) | 片倉製糸紡績株式会社 | |
4月10日 | 大宮製糸所に御法川式固定接緒器を六〇釜に設備す | 片倉製糸紡績株式会社 | |
5月13日 | 薩摩製糸株式会社委任経営を引受け資金融通の件を決議す//工場左の如し//鹿児島工場(二二〇釜) 宮之城工場(一九六釜) 鹿屋工場(一二〇釜) 末吉工場(一二〇釜) | 片倉製糸紡績株式会社 | |
5月14日 | 社長片倉兼太郎、取締役片倉直人、社員有賀文雄欧米視察の途より無事帰朝せり | 片倉製糸紡績株式会社 | |
6月1日 | 高知県高岡郡越智町越智製糸株式会社の工場を賃借して高岡製糸所(一五八釜)と改称し当会社に於て操業を開始す | 片倉製糸紡績株式会社 | |
9月1日 | 関東大震災の為め不幸にして横浜出張所の建物崩壊火災と共に岡田所長以下社員六名業手業婦渡辺タミ外八名殉難す | 片倉製糸紡績株式会社 | |
9月12日 | 関東大震災のため川岸事務所より所報第一号を発行す | 片倉製糸紡績株式会社 | |
9月14日 | 当社震災義捐 東京市へ白米二千俵、横浜市へ白米一千俵を寄贈す | 片倉製糸紡績株式会社 | |
9月15日 | 神戸市栄町村井銀行ビル内に神戸出張所を開設し、九月二十七日生糸の直輸出を開始し第一回積込を為す | 片倉製糸紡績株式会社 | |
9月18日 | 社報臨時第一号を本社より発行す | 片倉製糸紡績株式会社 | |
9月27日 | 社員片倉三平、古村武七を米国へ派遣す | 片倉製糸紡績株式会社 | |
10月20日 | 第五回一代交配蚕種産繭品評会を一代交配蚕種普及団にて開催す(26日まで) | 片倉製糸紡績株式会社 |