※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正2年(1913) | - | 【渋沢栄一】伯剌西爾拓植株式会社創立準備委員。日本結核予防協会創立・副会頭(後に会頭)。中国興業株式会社(後の中日実業)創立、相談役。日本実業協会創立・会長。帝国飛行協会成立、評議員。〔73歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | 高知県高知市外鴨田所在の旭製糸株式会社(明治四十三年十二月創立、資本金五万円釜数一二五釜)所有に係る製糸工場を買収し高知製糸所(一二四釜)と改称す | 片倉組時代 | |
大正3年(1914) | - | 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月 | 佐賀県三養基郡鳥栖町に鳥栖製糸所(三二釜)を新設す | 片倉組時代 | |
8月 | 片倉組は合資会社交進社名を以て初秋蚕用一代交配蚕種の製造配布を行ひ千二百枚を無償配布す | 片倉組時代 | |
10月24日 | 松本市に大日本一代交配蚕種普及団を組織す片倉組は合資会社交進社の名称にて加入す | 片倉組時代 | |
11月1日 | 松本製糸所構内に於て一代交配蚕種産繭品評会を開催す(3日まで) | 片倉組時代 | |
大正4年(1915) | - | 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 福島県郡山町所在郡山電気株式会社兼営に係る岩代紡績工場を買収し岩代絹糸紡績所設置す | 片倉組時代 | |
11月2日 | 大日本一代交配蚕種普及団解散し、事業一切を継承して同団は片倉組経営下に入る | 片倉組時代 | |
11月10日 | 御即位大典紀念として従業員の為め基本金壱万円を以て片倉組共済会を組識す | 片倉組時代 | |
11月10日 | 初代片倉兼太郎正六位に叙せらる | 片倉組時代 | |
- | 鳥栖製糸所は現在の地に移転設置す(二七二釜) | 片倉組時代 | |
大正5年(1916) | - | 【渋沢栄一】海外植民学校顧問。日米関係委員会創立・常務委員。第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。理化学研究所創立委員長。喜寿記念として第一銀行が玉川清和園に記念館誠之堂建設。渋沢栄一述『論語と算盤』(東亜堂書房)刊行。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 東京市神田区駿河台袋町に育英事業明道館を建設す | 片倉組時代 | |
大正6年(1917) | - | 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。飛鳥山邸(曖依村荘)に晩香廬落成、喜寿の祝いに合資会社清水組より贈られる。〔77歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月13日 | 初代片倉兼太郎午後四時十分逝去す(享年六九歳) | 片倉組時代 | |
2月21日 | 新家片倉光治逝去す(享年六六歳) | 片倉組時代 | |
2月 | 兵庫県飾磨郡城南村に姫路製糸所(六六〇釜)を新設す | 片倉組時代 | |
3月 | 鳥取県東伯郡日下村に上井製糸所(四八〇釜)を新設す | 片倉組時代 | |
4月 | 大分県大分市大道町に大分製糸所(七五〇釜)を新設す | 片倉組時代 | |
4月 | 長野県川岸村に私立片倉尋常小学校を開設す | 片倉組時代 | |
7月 | 高知製糸所を株式会社高知製糸所(三五六釜)に譲渡す | 片倉組時代 | |
7月 | 長野県川岸村三沢区所在垣外製糸場を分割取毀し(二一二釜)同村に丸三製糸所(二三六釜)を新設す(因に工男女〓[○+三]工場へ移る) | 片倉組時代 | |
8月 | 同垣外製糸場を分割取毀し同村橋原区内に平野製糸所十二分工場(三一二釜)を設置す、垣外製糸場跡は専ら片倉組川岸事務所となる | 片倉組時代 |