※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正11年(1922) | - | 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 | 渋沢関係略年譜 |
5月16日 | 名古屋綿糸布取引所設立。 | 一般・業界 | |
5月30日 | 浜松出張所、類火で全焼。 | 当社 | |
12月30日 | ソビエト社会主義共和国連邦成立。 | 一般・業界 | |
- | 京都市富小路に京都出張所を新設。 | 当社 | |
大正12年(1923) | - | 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月1日 | 関東大震災により、東京出張所全焼。横浜工場全壊。横浜工場は震災を機に廃止。 | 当社 | |
9月1日 | 関東大震災。 | 一般・業界 | |
- | 京都出張所を京都市烏丸通松原下ルに移転。 | 当社 | |
大正13年(1924) | - | 【渋沢栄一】財団法人日仏会館創立・理事長。東京女学館・館長。〔84歳〕【竜門社】財団法人竜門社となる。 | 渋沢関係略年譜 |
5月11日 | 福井工場、火災により一部焼失。 | 当社 | |
大正14年(1925) | - | 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 | 渋沢関係略年譜 |
3月30日 | 重要輸出品工業組合法公布(9・1施行)。 | 一般・業界 | |
昭和元年(1926) | - | 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
12月25日 | 大正天皇崩御。昭和と改元。 | 一般・業界 | |
1926年 | - | 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 大阪支店に内地部を新設。 | 当社 | |
昭和2年(1927) | - | 【渋沢栄一】日本国際児童親善会創立・会長。日米親善人形歓迎会を主催。航空輸送会社設立準備調査委員会会長。〔87歳〕【渋沢敬三】東洋生命取締役に就任。理化学興業監査役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
1月21日 | 三輪隆康、名古屋市中区朝日町に生まれる。 | 当社 | |
3月15日 | 東京渡辺銀行、あかぢ貯蓄銀行が休業。金融恐慌始まる。 | 一般・業界 | |
3月 | 大量の原綿買い付けを断行。相当の利益を上げる。旧債の大半を返却。 | 当社 | |
4月5日 | (株)鈴木商店、破綻(新規取引中止を発表)。 | 一般・業界 | |
4月22日 | モラトリアム公布・施行。 | 一般・業界 | |
5月1日 | 大日本紡績聯合会、第一〇次操短実施(昭4・6・30まで)。 | 一般・業界 | |
11月15日 | 三輪常次郎、愛知県の商工業功労者の一人として、名古屋偕行社にて昭和天皇より拝謁を賜わる。 | 当社 | |
11月15日 | 愛知県で陸軍特別大演習(11・18まで)。 | 一般・業界 | |
11月16日 | 熱田工場に、海江田侍従の御差遣を賜わる。 | 当社 |