※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和24年(1949) | - | 【竜門社】政府より曖依村荘が無償返還されることになる。財団法人社会教育協会に依頼して、機関誌『竜門雑誌』を継承する機関誌『青淵』を創刊する。曖依村荘全敷地の約3分の2を売却する。 | 渋沢関係略年譜 |
10月31日 | 硫酸工場、焼粉混合装置工事着手。(25.2.4工事完了、運転開始、選鉱場の全泥化に伴い、従来の含銅硫化粉焙焼より、素硫化粉の焙焼に移行。) | ||
10月 | 銅価補給金制度廃止。 | ||
11月30日 | 鉛製錬操業中止。 | ||
昭和25年(1950) | - | 【渋沢敬三】ユニバーサル広告社社員(~1951年)。 | 渋沢関係略年譜 |
1月10日 | 硫酸工場三号コンバーター増設工事着工。(25.8.23完成、運転開始) | ||
1月23日 | 排煙利用硫酸製造工場建設工事着工。 | ||
1月31日 | 選鉱場汰盤操業を廃止し、同時にミルは全面的にクローズ化を完成、全泥浮選操業を開始。 | ||
1月31日 | カーバイト工場廃止。 | ||
2月5日 | 重液選鉱の試運転を開始。 | ||
2月28日 | 中戸川、坂上、上大内、真弓、八町五気象観測所(大正五年開設)を煙害減少のため閉鎖。 | ||
3月2日 | 自作農創設特別措置法により、六七筆、一〇六、〇五二坪の所有地、代価三五、二二一円を以て政府買上げとなる。 | ||
3月31日 | 亜砒酸工場操業休止。 | ||
3月 | 販売製品の種目増加を期し、選鉱研、製錬〓[媛の女が金]の販売を始める。 | ||
4月3日 | 国有林事業協力の功により東京営林局長より受賞。 | ||
5月 | 熔鉱錬量減少に応じ、熔鉱炉No.1及No.2(共に二〇尺炉)解体。 | ||
5月 | 貯蔵中の買鉱金鉱の品位を向上するため、金鉱選鉱場を建設、操業開始。 | ||
5月 | 銅粉電解設備六瓲/月完成。 | ||
9月 | 旧廃石処理企業着工(26.4.16より単一浮選法による選鉱操業を開始六月中旬より総合優先浮選法に改造。) | ||
12月 | 三万瓲計画による選鉱場地形工事に着手。 | ||
昭和26年(1951) | - | 【竜門社】文部省史料館に日本実業史博物館準備室資料を寄託する。機関誌『青淵』を渋沢青淵記念財団竜門社から発刊する。【渋沢敬三】追放解除。 | 渋沢関係略年譜 |
1月26日 | 硫酸焼滓を製鉄工場へ初販売。 | ||
1月31日 | 排煙硫酸工場完成。(二月五日、大雄院―助川間硫酸パイプ送り開始。) |