※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治24年(1891) | - | 【渋沢栄一】日本製帽会社相談役。東京交換所創立・委員長。東京商業会議所会頭。〔51歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
8月20日 | 定款改正の件大阪府知事宛許可を申請、同月二十六日許可 | ||
10月28日 | 濃尾地方大地震//震災の為め名古屋出張店使用倉庫四棟破損、内当社所有は一棟に止まり損害軽微、殊に貨物一切被害無し | ||
11月11日 | 濃尾大地震の為め愛知県下其他被害地方紡績工場罹災職工に義捐 | ||
11月13日 | 輸入棉花関税免除を政府及び帝国議会へ請願の為め支配人渋谷正十郎氏上京 | ||
11月15日 | 神戸出張所を栄町二丁目四十番館に設置 | ||
明治25年(1892) | - | 【渋沢栄一】株式会社東京貯蓄銀行創立・取締役(後に取締役会長)。元日本製帽を買収し東京帽子株式会社設立・取締役会長。〔52歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月23日 | 定時株主総会に於て取締役三名改選の結果全員再選重任、此の旨大阪府庁へ届出づ | ||
2月8日 | 名古屋出張店を同市大船町三丁目四十番戸へ移転 | ||
2月28日 | 奈良に於て開催の第四回関西府県聯合共進会に参考品として各種棉花を出品 | ||
4月1日 | 大阪府庁の委嘱に依り第四回関西府県聯合共進会審査員として当社員井上平次郎氏奈良に出張 | ||
6月14日 | 第四回関西府県聯合共進会事務長より棉花出品に付謝状を受く | ||
6月18日 | 石川県勧業博物館の依頼により棉花四十九種を参考品として寄贈せし処同館より謝状を受く | ||
10月20日 | 愛知県半田港に名古屋出張店附属出張所を設置 | ||
12月1日 | 倉庫建築用地として神戸葺合村宅地三反六畝二十三歩を購入 | ||
明治26年(1893) | - | 【渋沢栄一】喜賓会創立・幹事長。東京人造肥料株式会社取締役会長。株式会社東京石川島造船所取締役会長。王子製紙株式会社取締役会長。帝国ホテル株式会社取締役会長。 | 渋沢関係略年譜 |
1月16日 | 定時株主総会に於て取締役三名改選の結果全員再選重任 | ||
3月1日 | 岡山県庁の委囑に依り岡山県米綿繭生糸品評会の棉花審査委員として社員佐藤清太郎氏出張 | ||
5月25日 | 当社所有大阪市東区京橋三丁目三十九番宅地二百七十八坪四勺、建物五棟並に同七十八番官有浜地上建物一棟及び同上附物一切を日本舎密製造会社に売却 | ||
7月1日 | 明治二十三年三月二十七日公布の商法は同二十九年十二月三十一日迄実施延期の処同法中会社、手形並に破産に関する法規のみを小修正を加へて実施 | ||
8月10日 | 取締役秋馬新三郎氏逝去 | ||
9月9日 | 日本郵船会社と大阪紡績、三重紡績、鐘淵紡績及び日本綿花、当社の五社(組合会社と称す)の間に孟買棉花積取約定成立、之より進みて同年十月紡績聯合会対日本郵船会社の最初の孟買棉花積取契約成り当社亦之に加盟 | ||
11月19日 | 臨時株主総会に於て本年七月実施の商法に基き定款改正の件を決議、改正定款に依り重役選挙の結果取締役に阿部彦太郎、松本重太郎、秋馬新三郎(先代襲名)の三氏、監査役に阿部市郎兵衛、浮田桂造の両氏当選//右定款改正に依り目的に綿糸販売(同委託販売並に為替貸)を追加//株式は従前一株百円五千株なりしを右定款改正に依り一株五拾円一万株に改む |