※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和31年(1956) | - | 【竜門社】創立70周年記念総会を開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
2月1日 | カナダおよび欧州向け綿布輸出調整措置決定、1月1日よりの比例割当制を実施。 | 業界ならびに内外情勢 | |
2月26日 | (大日本紡績) 青葉荘患者と特急「はと」の友情、ニュースとして新聞・雑誌・ラジオ・ニュース映画に報道され、小学校教科書にも掲載されるに至る。 | ニチボー関係 | |
4月14日 | (大日本紡績) 大阪四天王寺本坊に物故役員・従業員2,051柱追悼法要を営む。 | ニチボー関係 | |
4月30日 | 原子力3法成立。 | 業界ならびに内外情勢 | |
5月19日 | 科学技術庁発足。 | 業界ならびに内外情勢 | |
6月5日 | 繊維工業設備臨時措置法公布(10月1日施行)。 | 業界ならびに内外情勢 | |
7月2日 | 国防会議発足。 | 業界ならびに内外情勢 | |
7月26日 | 中東紛争勃発。ナセル埃及大統領、スエズ運河の国有宣言。 | 業界ならびに内外情勢 | |
8月13日 | (大日本紡績) 社長原吉平、訪比経済使節団員としてマニラに赴く(5月9日、日比賠償協定調印される)。 | ニチボー関係 | |
8月15日 | 日本・インドネシア第1次綿製品供給協定調印。 | 業界ならびに内外情勢 | |
8月16日 | (大日本紡績) 坂越工場ビニロン第3次3トン増設起工式。 | ニチボー関係 | |
10月1日 | 繊維工業設備臨時措置法実施により紡績設備はこの日現在で登録。 | 業界ならびに内外情勢 | |
10月31日 | 英・仏連合軍は埃及に進撃してスエズ運河の運航停止となる(11月7日スエズ紛争停戦)。 | 業界ならびに内外情勢 | |
11月7日 | (大日本紡績) 東京製絨工場を合理化のため閉鎖(10月29日休止)。 | ニチボー関係 | |
11月10日 | (大日本紡績) 取締役田辺貞雄をブラジルの傍系事業調査のため派遣(32年1月12日帰国)。 | ニチボー関係 | |
12月12日 | 日本の国連加盟、安保理事会できまる。 | 業界ならびに内外情勢 | |
12月20日 | 通商産業省、過剰綿スフ織機の共同行為の実施について指示。 | 業界ならびに内外情勢 | |
昭和32年(1957) | - | 【渋沢敬三】第16回ICC総会に日本代表団団長として出席のため渡欧。外務省顧問に就任、「移動大使」として中南米諸国を歴訪。 | 渋沢関係略年譜 |
1月16日 | 繊維品輸出会議は昭和32年以降5ヵ年間の対米綿製品輸出調整実施計画を決定。 | 業界ならびに内外情勢 | |
2月21日 | 三品綿糸30番手単糸、全限200円大台を割る。 | 業界ならびに内外情勢 | |
2月25日 | 全繊同盟綿紡部会は労働時間の短縮を要求、10月1日より1日実動15分短縮(7月上・中旬妥結、この間大日本紡績労働組合は7月5日・9日~12日時限スト)。 | 業界ならびに内外情勢 |