日本毛織(株)『日本毛織三十年史』(1931.01)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治32年(1899) - 【渋沢栄一】衆議院議員選挙法改正規制同盟会会長。福田会名誉顧問。大蔵省より株式会社北海道拓殖銀行設立委員に任命。京仁鉄道合資会社設立、取締役社長。銀行倶楽部委員。飛鳥山邸(曖依村荘)に茶室・無心庵竣工。 〔59歳〕 渋沢関係略年譜
11月 大阪市高麗橋五丁目に大阪支店を開く。
明治33年(1900) - 【渋沢栄一】京釜鉄道株式会社創立委員長。日本興業銀行設立委員(後に監査役)。男爵を授けられる。黒須銀行相談役。〔60歳〕【竜門社】青淵先生の還暦祝賀として『青淵先生六十年史 一名近世実業発達史』を刊行、青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
6月 上毛モスリン合資会社設立。
6月 北清事変起る。
6月 財界不況のため経営極めて苦難に陥る。
明治34年(1901) - 【渋沢栄一】大阪瓦斯会社監査役。東京・飛鳥山邸を本邸とする。京釜鉄道株式会社取締役、後に取締役会長。茨城採炭株式会社創立、相談役。〔61歳〕 渋沢関係略年譜
3月 天津に出張員を派し支那羊毛の買付けに従事せしむ。
4月 製絨業を開始し警察官及司獄官用の羅紗を納入す。
6月 財界不況のため日本毛布会社及び大阪毛布会社相踵て破綻す。
12月 初めて年五朱の株主配当を行ふ。
明治35年(1902) - 【渋沢栄一】合名会社中井商店顧問。清韓協会設立・幹事長。京仁鉄道合資会社取締役社長。兼子夫人同伴で欧米視察。ルーズベルト大統領と会見。〔62歳〕 渋沢関係略年譜
1月 東京市日本橋材木町に出張所を設置す。
4月 技師谷江長氏を欧洲に派遣し具さに彼地の毛織工業を研究せしむ
明治36年(1903) - 【渋沢栄一】東宮御慶事奉祝会副会長・会計監督。インフルエンザ罹患、喘息を併発。京釜鉄道株式会社理事。日印協会創立・会員(後に会頭)。〔63歳〕 渋沢関係略年譜
3月 天津出張所を開始す
4月 一般関税法改正の結果毛織物関税も引上げらる。
明治37年(1904) - 【渋沢栄一】風邪をこじらせ長期に静養。韓国興業株式会社設立、監督。〔64歳〕 渋沢関係略年譜
2月 露国に対して宣戦を布告せらる。
4月 非常特別税法実施の結果織物一般従価一割の消費税を課せらる。
5月 モスリン不況のため各モスリン会社協定して操業四割短縮を実行す。
6月 加古川工場調合部室より出火同室全部焼失す。
7月 監査役沢田清兵衛氏死去す。
12月 大阪支店を一時閉鎖す。
明治38年(1905) - 【渋沢栄一】韓国皇帝より勲一等太極章。移転した養育院感化部井之頭学校と改称、開校式。徳川慶喜・伊藤博文らを飛鳥山邸(曖依村荘)に招待、茶室・無心庵にて午餐会。〔65歳〕 渋沢関係略年譜
1月 飾磨工場を買収す。
3月 飾磨工場に於て手機毛布を製造す。
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