※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治41年(1908) | - | 【渋沢栄一】日韓瓦斯株式会社創立、取締役会長。帝国商業銀行相談役。東洋拓殖株式会社設立委員。木曾興業株式会社創立、相談役。アメリカ太平洋沿岸商業会議所代表委員一行を飛鳥山邸(曖依村荘)に招待。〔68歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 当社加古川第二工場竣成羅紗製造開始。 | ||
明治42年(1909) | - | 【渋沢栄一】古稀に際し多くの企業・団体の役員を辞任。渡米実業団を組織し団長として渡米。タフト大統領と会見。〔69歳〕【竜門社】組織を変更し、社則を改正。青淵先生の道徳経済合一説を広め実践する団体に性格を変える。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 支那産の種羊六十頭購入土山牧場にて試育することとなる。 | ||
6月 | 新築中の神戸西出町本店工事落成本店事務をこゝに移す。 | ||
12月 | モスリン及びトップ事業を創設するに決し工場の増設に着手す。 | ||
明治43年(1910) | - | 【渋沢栄一】政府諮問機関の生産調査会創立・副会長。社団法人東京銀行集会所会長。〔70歳〕【竜門社】青淵先生の七十寿祝賀会を開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 財界に恐慌起り会社商店の破綻頻出し後藤毛織会社東京製絨会社は何れも減資整理の余儀なきに至る。 | ||
4月 | 織物消費税五分低減せらる。 | ||
明治44年(1911) | - | 【渋沢栄一】日露協会評議員。維新史料編纂会委員。財団法人済生会設立、顧問・評議員。勲一等に叙され瑞宝章を授与される。〔71歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月 | 加古川第三工場竣成しモスリンの製造を開始す。 | ||
7月 | 関税改正の結果毛織物関税は従価二割五分を標準とする従量税に改めらる。 | ||
11月 | 当社資本金を三百万円に増加す。 | ||
11月 | 始めて当社に於て欧大陸式によるトツプの製造を開始す。 | ||
明治45年(1912) | - | 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 緬羊試育場を明石郡土山に設置す。 | ||
3月 | 毛斯綸紡織会社資本金を三百万円に増加。 | ||
3月 | 後藤毛織会社は資本金を三百万円に増加。 | ||
3月 | 上毛モスリン会社二百万円に増資す。 | ||
6月 | 当社製のトツプ初めて市場に現はる。 | ||
6月 | 日本毛糸モスリン株式会社(資本金二百万円)岐阜に設立。 | ||
6月 | 東洋モスリン会社日本モスリン紡織会社を合併す。 | ||
7月 | 東京製絨会社資本金を二百万円に増加す。 | ||
大正元年(1912) | - | 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | 明治天皇登遐大正と改元せらる。 | ||
9月 | 東京製絨品川工場を当社に買収し東京工場を設置す。 |