※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治6年(1873) | - | 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
12月27日 | 政府、高島炭坑へ投資の外国商社に補償金を支払い、合弁条約解除を決定 | 高島炭砿 | |
明治7年(1874) | - | 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月19日 | 高島炭坑、官営となる(1月16日高島鉱山支庁設置) | 高島炭砿 | |
2月4日 | 佐賀の乱起る | 関連事項 | |
2月6日 | 台湾征討を閣議決定(11月17日和議成立布告) | 関連事項 | |
4月 | 三菱商会、本店を大阪から東京へ移転 | 三菱関連 | |
7月28日 | 三菱蒸汽船会社の名称で台湾への軍事輸送命令を受ける | 三菱関連 | |
8月24日 | 尾浜に横坑を開坑 | 高島炭砿 | |
9月20日 | 政府、高島への外国船寄港、石炭積込許可 | 高島炭砿 | |
11月10日 | 政府、後藤象二郎へ高島炭坑の払下げを決定(12月23日引渡し) | 高島炭砿 | |
明治8年(1875) | - | 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月3日 | 三菱商会、横浜~上海間航路開設(わが国初の外国航路) | 三菱関連 | |
5月1日 | 三菱商会、三菱汽船会社と改称//三菱汽船会社規則制定 | 三菱関連 | |
9月15日 | 政府より第一命令書を受ける(官有船13隻を払受け) | 三菱関連 | |
9月18日 | 三菱汽船、郵便汽船三菱会社と改称 | 三菱関連 | |
12月 | ガス爆発事故、40人死亡 | 高島炭砿 | |
12月 | ボイド商会と横浜に三菱製鉄所を開設(12年2月三菱が全部所有) | 三菱関連 | |
- | 後藤炭砿舎、舎中規則並布告賦役録作成 | 高島炭砿 | |
明治9年(1876) | - | 【渋沢栄一】東京府瓦斯局事務長。養育院事務長。深川福住町(現在の東京都江東区永代)に転居。〔36歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月1日 | 三井物産会社設立 | 関連事項 | |
7月12日 | イギリスのP&O汽船会社と競争の結果、三菱会社が横浜~上海間航路を掌握 | 三菱関連 | |
9月15日 | 政府より第二命令書を受ける(国内・釜山航路助成) | 三菱関連 | |
10月 | 政府、三井物産へ三池炭の一手販売を委託契約 | 関連事項 |