王子製紙(株)苫小牧工場『五十年の歩み : 1910-1960』(1960.12)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正11年(1922) - 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 渋沢関係略年譜
5月 気田工場より七八吋長網抄紙機移設完了。 工場
7月 摂政宮殿下(今上天皇)御来場。 工場
大正12年(1923) - 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 渋沢関係略年譜
4月 新聞用紙連量四三听より四七听となる。 工場
9月 関東大震災。 一般
10月 海外顧問ヘンリー・B・ワズウォーズ技師ニューヨークで急逝。高塔式製薬塔一本完成使用開始(塔高四六米余) 工場
大正13年(1924) - 【渋沢栄一】財団法人日仏会館創立・理事長。東京女学館・館長。〔84歳〕【竜門社】財団法人竜門社となる。 渋沢関係略年譜
- 広葉樹材GPの利用開始。 工場
大正14年(1925) - 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 渋沢関係略年譜
1月 パルプミキサーを採用 工場
3月 JOAK放送開始。 一般
5月 普通選挙法公布。 一般
11月 現二号抄紙機増設(ウォームスレー社製 始めてサクションクーチ、セクショナルドライブ方式採用、設計抄速三〇〇米/分、昭和九年七月始めてサクションプレス設置)これに附帯して、第二調木室竣工、スラッシャー及び一号ドラムバーカー運転。第二砕木室竣工、現二・三号ワーレン型マガジングラインダー二台新設。 工場
大正15年(1926) - 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 渋沢関係略年譜
4月 丸ビル完成。//この頃から円本流行。 一般
11月 尻別第二発電所竣工(フランシスタービン 三台 七、二〇〇KW) 工場
昭和2年(1927) - 【渋沢栄一】日本国際児童親善会創立・会長。日米親善人形歓迎会を主催。航空輸送会社設立準備調査委員会会長。〔87歳〕【渋沢敬三】東洋生命取締役に就任。理化学興業監査役に就任。 渋沢関係略年譜
3月 金融恐慌 一般
昭和3年(1928) - 【渋沢栄一】日本女子高等商業学校建設後援会発起人。日本航空輸送株式会社創立・創立委員長。〔88歳〕【竜門社】青淵先生米寿祝賀会を開催し、斯文会編訳『国訳論語』等を記念品として青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
2月 恵庭発電所竣工、出力二、一五〇KW。 工場
2月 最初の普通選挙。 一般
12月 ソフトテックス操業開始。 工場
昭和4年(1929) - 【渋沢栄一】アメリカン・ソサエティ・オブ・メカニカル・エンジニア名誉会員。中央盲人福祉協会創立・会長。〔89歳〕 渋沢関係略年譜
3月 藤原専務社長に就任。 工場
11月 山林土場を鉄北に移し、ケーブルクレーン運転、水路による原木搬入はじまる。 工場
12月 アメリカに恐慌起り世界に及ぶ。 一般
昭和5年(1930) - 【渋沢栄一】明治神宮外苑聖徳記念絵画館に壁画献納。財団法人楽翁公遺徳顕彰会会長。〔90歳〕 渋沢関係略年譜
1月 金解禁実施。 一般
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