※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和16年(1941) | - | 【渋沢敬三】全国貯蓄銀行協会会長に就任。第一銀行副頭取に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 遠海塩の輸入が途絶 | 社会・一般 | |
昭和17年(1942) | - | 【渋沢敬三】日本銀行(以下、日銀)副総裁就任、これに伴い第一銀行など辞任。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 工業塩自己輸入制度廃止 | 社会・一般 | |
4月 | 配電統制令により全国9配電会社開業 | 社会・一般 | |
5月25日 | 小倉、尼崎工場 商工大臣、重要工場に指定 | 当社 | |
5月 | 尼崎工場 電解電流10KA | 当社 | |
10月 | 「化学工業統制会」が設立され、アンモニア法、電解法の両工業組合がその「ソーダ部会」として継承 | 社会・一般 | |
- | 浪花油脂(株)を吸収合併 | 当社 | |
- | 配給不足のため、食糧買出し、闇取引が広く行われる | 社会・一般 | |
昭和18年(1943) | - | 【渋沢敬三】大東亜会議に来日のスバス・チャンドラ・ボース、約4週間綱町邸に逗留。 | 渋沢関係略年譜 |
9月 | イタリア、連合軍に無条件降伏 | 社会・一般 | |
10月 | 軍需会社法、統制会社法公布 | 社会・一般 | |
- | 兵員補充に学徒召集も行われたが船舶減損により、戦略物質、食糧等輸入が途絶し勝ちとなり生産力は激減 | 社会・一般 | |
昭和19年(1944) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 | 渋沢関係略年譜 |
8月21日 | 本社 大阪市北区中之島5丁目8番地へ移転 | 当社 | |
8月 | 学徒勤労令・女子挺身隊令公布 | 社会・一般 | |
9月17日 | 尼崎工場 高潮により水没。以後約70日間運転中止 | 当社 | |
- | この年後半、海上輸送崩壊、軍需生産麻痺状態になる | 社会・一般 | |
昭和20年(1945) | - | 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 東海地方大地震 | 社会・一般 | |
3月14日 | 本社 大阪市西区土佐堀船町22番地の1(船町ビル)へ移転(戦災のため) | 当社 | |
5月 | ドイツ、連合軍に無条件降伏 | 社会・一般 | |
7月 | 米英ソ3国、対日ポツダム宣言発表 | 社会・一般 | |
8月15日 | 小倉工場 電解用原料塩不足のため運転中止。以後第1電解工場約2ヵ月、第2電解工場約4.5年間運転中止 | 当社 |