電気化学工業(株)『電気化学工業株式会社三十五年史』(1952.03)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和20年(1945) - 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 渋沢関係略年譜
3月10日 本所工場は主要工場の一部を残して被爆焼失す。 年譜
3月22日 日本塗紙工業株式会社併びに当会社定款目的変更登記を了る。 年譜
5月24日 大崎工場は爆撃にて全焼す。 年譜
6月18日 大牟田工場の一部は六月十八日及び爾後二回に亙り被爆焼失したが幸い操業上の諸施設は全きを得た。尚応急修理を施し八月二十五日より操業を開始す。 年譜
8月15日 軍需大臣及び陸軍大臣より軍需会社の指定取消を受く。右に件い生産責任者は退任し生産担当者代理権は消滅す。 年譜
8月16日 伊東二郎丸氏取締役を辞任す。 年譜
8月21日 山東電化株式会社博山工場は中国政府の接収を受く。(北京本社は十二月十四日接収) 年譜
9月17日 聯合軍進駐に併い本店事務所を取敢えず東京都目黒区三田一九四番地当会社研究所内に移転す。 年譜
10月27日 青海工場に於ける酢酸並びにメラメン製造設備工事及び該工事の前後処置に関し産業設備営団と契約締結す。 年譜
11月27日 台湾電化株式会社基隆工場は中国政府の接収を受く。 年譜
12月11日 青海工場酢酸工場完成し、操業を開始す。 年譜
昭和21年(1946) - 【竜門社】財団法人竜門社、財団法人渋沢青淵翁記念会が合同して渋沢青淵記念財団竜門社となる。【渋沢敬三】公職を追放さる。本邸は大蔵省に官邸として貸与、のち財産税にて敷地とともに物納。 渋沢関係略年譜
1月11日 本社事務所を東京都京橋区新富町一丁目三番地帝国興信所ビル内に移転す。 年譜
2月26日 大牟田工場は昨年六月以降屡次の空襲並に九月の台風に因る災害を受けたが爾後刻苦精励施設の復旧を敢行、十二月に於ては遂に石灰窒素の生産に平均日産百屯を突破、依つて農林並に商工大臣より表彰を受く。 年譜
3月9日 常務取締役野村与曾市氏専務取締役に就任す。 年譜
3月20日 印度支那電化株式会社は中国政府の接収を受く。 年譜
4月20日 本所工場ホルマリン操業開始す。 年譜
4月22日 会社の解散の制限等に関する勅令(制限会社令)に依つて指定会社(制限会社)としての指定を受く。 年譜
5月1日 糸魚川農事試験所開設す。 年譜
5月27日 第六十三期定時株主総会を開催して本店事務所移転に件う定款変更を為す。 年譜
6月5日 公告を為す方法を日本経済新聞に又本店を東京都京橋区新富町一丁目三番地に変更登記を為す。 年譜
PAGE TOP