※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和18年(1943) | - | 【渋沢敬三】大東亜会議に来日のスバス・チャンドラ・ボース、約4週間綱町邸に逗留。 | 渋沢関係略年譜 |
2月7日 | 大牟田工場硫安製造は原材料不足、生産費嵩上のため極疲に減産を来し採算不利のため之を中止し、原料用石灰窒素を市販に廻し其の増産を企図す。尚右遊休設備を運用してアセチレンブラツク製造工場設備建設を計画す。 | 年譜 | |
6月9日 | 大東亜大臣より予て立案中の仏領印度支那に於ける日仏合併カーバイド事業の担当を命ぜらる。 | 年譜 | |
6月11日 | 青海工場硫安の製造を中止す。尚同遊休設備を利用してメラミン及メラミン樹脂製造を計画す。 | 年譜 | |
6月28日 | 常務取締役羽村協輔氏取締役を辞任す。 | 年譜 | |
7月6日 | 相談役牧田環氏逝去。 | 年譜 | |
7月17日 | 取締役野村与曾市氏及び同田島久作氏常務取締役に就任す。 | 年譜 | |
7月31日 | 青海、大牟田両工場硫安製造廃止に付き、硫安肥料製造業組合を脱退す。 | 年譜 | |
10月30日 | 大牟田工場に於けるアセチレンブラツク製造設備の工事施行及び該工事完成後に於ける貸付に関し産業設備営団と契約締結す。 | 年譜 | |
11月6日 | 東洋電炉株式会社発起人総会を開催、近藤鉄次氏同社取締役会長に就任す。 | 年譜 | |
11月12日 | 軍需大臣よりセメント統制会員に指定さる。 | 年譜 | |
12月29日 | 本所工場軍需品工場の監督に関して陸軍糧秣本廠東京出張所長と契約締結す。 | 年譜 | |
昭和19年(1944) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 | 渋沢関係略年譜 |
2月1日 | 三井物産株式会社河内支店内に於いて印度支那電化株式会社創立総会を開催し、仏法に依る設立手続を完了(資本金五百万比弗、一比弗=一円) | 年譜 | |
2月15日 | 大牟田工場は海軍艦政本部長より海軍監督工場の指定を受く。 | 年譜 | |
2月18日 | 印度支那電化株式会社設立に関し東京州知事より認可を受く。 | 年譜 | |
4月25日 | 軍需大臣及び海軍大臣より軍需会社の指定を受く。 | 年譜 | |
4月28日 | 取締役社長近藤鉄次氏、取締役会に於いて生産責任者に選任さる。 | 年譜 | |
4月28日 | 生産責任者より本店生産担当者に常務取締役野村与曾市氏、青海工場生産担当者に熊沢一郎氏、大牟田工場生産担当者に原辻松氏、本所工場生産担当者に井上滋次郎氏を夫々任命す。 | 年譜 | |
5月5日 | 取締役会長大橋新太郎氏逝去す。 | 年譜 | |
5月13日 | 生産責任者並に本店生産担当者及び本所工業生産担当者の登記を了る。 | 年譜 | |
5月13日 | 印度支那電化株式会社カーバイド製造設備の工事施行及び該設備完成後に於ける貸付に関し、産業設備営団と契約を締結す。 | 年譜 |