三共(株)『三共百年史』(2000.05)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治35年(1902) - 【渋沢栄一】合名会社中井商店顧問。清韓協会設立・幹事長。京仁鉄道合資会社取締役社長。兼子夫人同伴で欧米視察。ルーズベルト大統領と会見。〔62歳〕 渋沢関係略年譜
- ・北里柴三郎医学博士の委嘱により医界評論誌『医海時報』の経営を支援 当社の歩み
明治36年(1903) - 【渋沢栄一】東宮御慶事奉祝会副会長・会計監督。インフルエンザ罹患、喘息を併発。京釜鉄道株式会社理事。日印協会創立・会員(後に会頭)。〔63歳〕 渋沢関係略年譜
1月14日 『時事新報』にタカヂアスターゼの大型広告を掲載―日刊紙への新薬広告の嚆矢 当社の歩み
明治37年(1904) - 【渋沢栄一】風邪をこじらせ長期に静養。韓国興業株式会社設立、監督。〔64歳〕 渋沢関係略年譜
2月4日 肺結核予防令公布 内外事情
2月10日 日露戦争勃発 内外事情
- ・塩原又策、アメリカ・デトロイトのパーク・デービス社を訪問し帰途欧米を視察 当社の歩み
明治38年(1905) - 【渋沢栄一】韓国皇帝より勲一等太極章。移転した養育院感化部井之頭学校と改称、開校式。徳川慶喜・伊藤博文らを飛鳥山邸(曖依村荘)に招待、茶室・無心庵にて午餐会。〔65歳〕 渋沢関係略年譜
5月6日 売薬税法公布 内外事情
8月 『治療薬報』『薬業月報』を発刊 当社の歩み
9月5日 日露講和条約調印 内外事情
- ・箱崎工場を開設(東京市日本橋区箱崎町・土佐藩屋敷跡) 当社の歩み
明治39年(1906) - 【渋沢栄一】大日本麦酒株式会社設立、取締役。南満州鉄道株式会社設立委員。京阪電気鉄道会社創立・創立委員長(後に相談役)。大日本製糖株式会社設立、相談役。名古屋電力株式会社創立・相談役。東海倉庫株式会社創立・相談役。明治製糖創立・相談役。〔66歳〕 渋沢関係略年譜
5月2日 医師法、歯科医師法公布 内外事情
7月2日 第3改正日本薬局方公布 内外事情
9月 高峰博士、パーク・デービス社のライアン社長を同道しアメリカから一時帰国 当社の歩み
- ・ドイツのギュストロー社製強精薬ヨヒンビンの輸入販売を開始 当社の歩み
- ・工学博士高峰譲吉、薬学博士の学位を受ける 当社の歩み
明治40年(1907) - 【渋沢栄一】帝国劇場会社創立・取締役会長。品川白煉瓦株式会社相談役。日清汽船株式会社創立、取締役。日本皮革株式会社創立、相談役。合資会社沖商会有限責任社員・監査役。帝国製麻株式会社創立、相談役。東明火災海上保険株式会社創立、取締役。〔67歳〕 渋沢関係略年譜
4月3日 三共薬品合資会社に改組//資本金:50万円//代表社員:塩原又策//出資者:塩原又策、塩原千代 当社の歩み
12月11日 新薬新製剤に関する取締規則制定 内外事情
- ・ドイツのスパイヤー・フォン・カルゲル社の一手販売業者となる 当社の歩み
- ・ドイツのタインハルト社の代理店となる 当社の歩み
- ・ドイツのべーリンガー社およびクノール社の一手販売業者となる 当社の歩み
- ・戦後恐慌 内外事情
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