※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治41年(1908) | - | 【渋沢栄一】日韓瓦斯株式会社創立、取締役会長。帝国商業銀行相談役。東洋拓殖株式会社設立委員。木曾興業株式会社創立、相談役。アメリカ太平洋沿岸商業会議所代表委員一行を飛鳥山邸(曖依村荘)に招待。〔68歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 品川工場を開設(東京府荏原郡品川町大字北品川宿字御殿山286、287番地ほか/元官営硝子製造所跡) | 当社の歩み | |
3月 | アメリカのジョンソン・エンド・ジョンソン社の代理店となる | 当社の歩み | |
5月 | 大阪出張所を開設(大阪市東区平野町) | 当社の歩み | |
8月29日 | 三共合資会社に社名変更(医科用器械の販売・医学書出版業を併せて経営) | 当社の歩み | |
10月 | 肥田音市医学博士研究の乳酸菌製剤ラクトスターゼを製造発売 | 当社の歩み | |
- | ・下山順一郎薬学博士(東京帝国大学教授)を学術顧問に委嘱し同博士研究の結核治療剤ファゴールを製造開始 | 当社の歩み | |
- | ・アメリカのフォード社の日本総代理店となる | 当社の歩み | |
明治42年(1909) | - | 【渋沢栄一】古稀に際し多くの企業・団体の役員を辞任。渡米実業団を組織し団長として渡米。タフト大統領と会見。〔69歳〕【竜門社】組織を変更し、社則を改正。青淵先生の道徳経済合一説を広め実践する団体に性格を変える。 | 渋沢関係略年譜 |
3月3日 | 社屋を新築し本店を移転(東京市日本橋区室町三丁目10番地、通称・浮世小路/社屋内に薬局を併設) | 当社の歩み | |
4月14日 | 種痘法公布 | 内外事情 | |
9月 | 医科器械部を開設(ドイツのナイシュラー社ほか欧米各社の医科用器械を輸入販売) | 当社の歩み | |
10月 | 宮入慶之助医学博士著『寄生原虫研究之栞』を刊行 | 当社の歩み | |
明治43年(1910) | - | 【渋沢栄一】政府諮問機関の生産調査会創立・副会長。社団法人東京銀行集会所会長。〔70歳〕【竜門社】青淵先生の七十寿祝賀会を開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 大阪出張所を閉鎖 | 当社の歩み | |
3月 | 理事制を採用(代表理事・塩原又策/総務理事・山谷徳治郎、古田宗二郎/理事・奥田象三、福井源次郎、荻原勘助) | 当社の歩み | |
6月 | 日本橋通り(現・中央通り)に面して店舗を増築し小売部を開設 | 当社の歩み | |
12月 | 鈴木梅太郎農学博士、米糠からオリザニン(ビタミンB1)の抽出に成功 | 当社の歩み | |
- | ・秦佐八郎医学博士、サルバルサンを創製 | 内外事情 | |
明治44年(1911) | - | 【渋沢栄一】日露協会評議員。維新史料編纂会委員。財団法人済生会設立、顧問・評議員。勲一等に叙され瑞宝章を授与される。〔71歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 大阪出張所を再開(大阪市東区高麗橋詰町、平野橋畔) | 当社の歩み | |
2月21日 | 日米通商航海条約調印......関税自主権確立(この年、日英、日独、日仏通商航海条約調印) | 内外事情 | |
2月 | 秦佐八郎医学博士著『化学療法ノ研究』を刊行 | 当社の歩み | |
3月29日 | 工場法公布(大正5.9.1施行)......日本最初の労働立法 | 内外事情 |