三共(株)『三共百年史』(2000.05)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正5年(1916) - 【渋沢栄一】海外植民学校顧問。日米関係委員会創立・常務委員。第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。理化学研究所創立委員長。喜寿記念として第一銀行が玉川清和園に記念館誠之堂建設。渋沢栄一述『論語と算盤』(東亜堂書房)刊行。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
11月10日 大日本医師会創立 内外事情
11月 鈴木梅太郎博士指導で、ネオアルサミノール(ネオサルバルサン)を製造発売 当社の歩み
12月 サトウライト株式会社を設立(資本金200万円/取締役会長・大橋新太郎/専務取締役・塩原又策/脱脂大豆の蛋白から創製した不燃性セルロイド類似品のサトウライトを製造) 当社の歩み
- ・品川工場に香粧料研究科を新設 当社の歩み
大正6年(1917) - 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。飛鳥山邸(曖依村荘)に晩香廬落成、喜寿の祝いに合資会社清水組より贈られる。〔77歳〕 渋沢関係略年譜
7月20日 工業所有権戦時法公布 内外事情
9月12日 金輸出禁止 内外事情
9月19日 互産貿易株式会社(名古屋市中区京町/資本金10万円/株主・野口七兵衛、小島一雄、中北伊助、荒川長太郎、小林信次郎、小林保次)が設立され、当社製品の一手取扱い開始 当社の歩み
- ・肺炎化学療法剤エチルヒドロクプレインの国産化に成功しレミジンとして製造発売 当社の歩み
大正7年(1918) - 【渋沢栄一】渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(竜門社)刊行。〔78歳〕 渋沢関係略年譜
6月24日 増資により資本金460万円となる 当社の歩み
11月11日 第1次世界大戦終結 内外事情
11月16日 小名木川工場を火災焼失により閉鎖し生産を箱崎工場に移管 当社の歩み
11月 ニューヨーク市に出張所を開設 当社の歩み
11月 デンバー社のアンチフロヂスチンの日本代理店となり一手販売開始 当社の歩み
- ・米価暴騰、各地で米騒動 内外事情
大正8年(1919) - 【渋沢栄一】アメリカ合衆国政府より日米船鉄交換争議の仲裁人を委嘱される。財団法人協調会創立・副会長。〔79歳〕 渋沢関係略年譜
3月27日 サトウライト株式会社を合併(同社の業務は解消し当社の資本金560万円となる) 当社の歩み
3月27日 結核予防法、トラホーム予防法、精神病院法公布 内外事情
4月10日 向島工場を開設(東京府下寺島町、現・墨田区のサトウライト株式会社工場跡/品川工場構内のベークライト工場焼失により移転/同時にオポピリン作業室を新築し移転) 当社の歩み
6月28日 ベルサイユ講和条約調印 内外事情
- ・社長高峰譲吉、アメリカから一時帰国 当社の歩み
大正9年(1920) - 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
1月10日 国際連盟発足 内外事情
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