三共(株)『三共百年史』(2000.05)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治44年(1911) - 【渋沢栄一】日露協会評議員。維新史料編纂会委員。財団法人済生会設立、顧問・評議員。勲一等に叙され瑞宝章を授与される。〔71歳〕 渋沢関係略年譜
3月 日本橋室町社屋内の小売部を独立させ中央薬局を設置(丸ノ内、銀座にも開設) 当社の歩み
8月 鈴木梅太郎農学博士発見のオリザニンの製法特許を得て品川工場で製造発売 当社の歩み
- ・アメリカのベークライト社社長・ベークランド博士から同博士発明の合成樹脂ベークライトの日本特許専用権の許諾を得る(大正4年4月から工業化) 当社の歩み
- ・営業第一部(医薬品関係)・営業第二部(輸出入関係)を設置 当社の歩み
明治45年(1912) - 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 渋沢関係略年譜
2月11日 学術顧問下山順一郎博士死去 当社の歩み
2月 ドイツのヘキスト社製駆黴剤サルバルサン(606号)の日本売捌所となる 当社の歩み
大正元年(1912) - 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 渋沢関係略年譜
7月30日 明治天皇崩御、大正と改元 内外事情
10月 高峰博士を出資者に迎える 当社の歩み
12月 下山順一郎・池口慶三両薬学博士共著『日本薬制註解』の増補第2版を共同出版 当社の歩み
大正2年(1913) - 【渋沢栄一】伯剌西爾拓植株式会社創立準備委員。日本結核予防協会創立・副会頭(後に会頭)。中国興業株式会社(後の中日実業)創立、相談役。日本実業協会創立・会長。帝国飛行協会成立、評議員。〔73歳〕 渋沢関係略年譜
2月10日 護憲運動騒擾化、各地に騒動波及 内外事情
3月1日 三共株式会社を設立//資本金:10万円//役員:社長・高峰譲吉/専務取締役・塩原又策/取締役・古田宗二郎、古谷竹之助/監査役・大谷幸之助、鳥居徳兵衛//所在地:東京市日本橋区室町三丁目10番地 当社の歩み
3月18日 社長高峰譲吉、アメリカから一時帰国 当社の歩み
3月21日 三共株式会社に三共合資会社を合併、資本金95万円となる(決算期・11月の1期) 当社の歩み
6月12日 増資により資本金200万円となる 当社の歩み
8月29日 定款変更により決算期は5月・11月の2期となる 当社の歩み
- ・田原良純薬学博士発見の鎮痙剤テトロドトキシンを製造発売 当社の歩み
大正3年(1914) - 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 渋沢関係略年譜
1月20日 第1回定時株主総会を開催(以後、毎年1月と7月に定時株主総会を開催) 当社の歩み
3月31日 売薬法公布 内外事情
7月28日 泰昌製薬株式会社を設立(資本金10万円/社長・高橋三郎/専務取締役・福井藤吉/工場・日暮里、現・東京都台東区/胃腸消化薬ゴルフ、点眼薬アドラなどの家庭薬を製造販売) 当社の歩み
7月28日 第1次世界大戦勃発 内外事情
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