三共(株)『三共百年史』(2000.05)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正3年(1914) - 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 渋沢関係略年譜
8月23日 日本、対独宣戦布告 内外事情
8月 品川工場内にタカヂアスターゼ国産化工場完成、操業開始 当社の歩み
8月 ドイツからの輸入途絶のため輸入医薬品の価格高騰 内外事情
9月 『薬業月報』を『営業月報』と改題 当社の歩み
11月 品川工場の対岸(目黒川の南側、北品川宿字百反耕地888番地ほか、東京硝子工場跡)に工場用地を買収しサリチル酸、ベークライト工場の建設に着手―現・品川工場の発祥 当社の歩み
12月7日 内務省、臨時薬業調査会を設置 内外事情
- ・朝比奈泰彦薬学博士の指導で過酸化水素オキシフルを製造発売 当社の歩み
- ・鈴木梅太郎農学博士の指導により、清酒防腐剤サリチル酸の工業的生産(シュミット式)に成功、生産を開始―わが国サリチル酸工業的生産の嚆矢 当社の歩み
大正4年(1915) - 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 渋沢関係略年譜
4月 専務取締役塩原又策、紺綬褒章を受章 当社の歩み
6月2日 サリチル酸の国産工業化の成功により大蔵大臣若槻礼次郎から感謝状を贈られる 当社の歩み
6月21日 染料医薬品製造奨励法公布 内外事情
6月 鈴木梅太郎博士の指導により輸入途絶のサルバルサンの試製に成功、秦佐八郎博士の検定に合格し製造発売―サリチル酸とともにわが国有機合成化学工業の発端 当社の歩み
10月 大阪工場を開設(大阪市西成郡稗島村赤須、現・此花区、四貫島付近/通称・蒲生工場/局方品を製造) 当社の歩み
11月 内国製薬株式会社を設立(資本金100万円/社長・福原有信/専務取締役・池口慶三/常務取締役・塩原又策/当社は大株主として参加しアミノピリン、石炭酸、麻薬類などの輸入途絶医薬品を生産) 当社の歩み
12月4日 東京株式市場大暴騰......大戦景気始まる 内外事情
- ・高峰研究所を設置(品川タカヂアスターゼ工場内) 当社の歩み
大正5年(1916) - 【渋沢栄一】海外植民学校顧問。日米関係委員会創立・常務委員。第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。理化学研究所創立委員長。喜寿記念として第一銀行が玉川清和園に記念館誠之堂建設。渋沢栄一述『論語と算盤』(東亜堂書房)刊行。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
1月31日 デモクラシー運動台頭 内外事情
4月6日 東京製薬株式会社(資本金30万円/社長・雨宮庄吉/局方製剤業)を合併し資本金230万円となる(同社の局方製剤部門は品川工場に移し、工業薬品部門は同社の小名木川工場、東京府南葛飾郡砂村八右衛門新田、現・東京都江東区を継承) 当社の歩み
5月 合資会社三共組を設立(京都市烏丸通二条北入/出資者・山村善助、半井万紹、山本政七、前川清逸/当社製品の一手取扱い) 当社の歩み
10月 大阪工場を新築移転(大阪市北区東野田町) 当社の歩み
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