※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和7年(1932) | - | 【竜門社】第一次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。【渋沢敬三】第一銀行常務取締役就任。 | 渋沢関係略年譜 |
9月 | 鶴見製油所にNNO式蒸溜装置完成す。 | ||
- | 販売競争起り、油価下落甚し。 | ||
昭和8年(1933) | - | 【竜門社】青淵先生の遺言により渋沢家から曖依村荘を受贈する。財団法人渋沢青淵翁記念会が東京・常盤橋公園に青淵先生の銅像を建てる。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 台湾錦水油田ロ式二十号井深度一、〇九二米にて大瓦斯噴出、其量一昼夜一億五千万立方呎。 | ||
8月 | 松方幸次郎氏の露油輸入に依り販売競争激化し、油価暴落す。 | ||
- | 海軍の委託に依り台湾甲仙油田に試掘開始。 | ||
- | 秋田県院内・小国油田に成功井続出す。 | ||
昭和9年(1934) | - | 【渋沢敬三】日本民族学会理事就任。 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 本社道路課及浅野物産会社道路部を合同して資本金百万円の日本鋪道株式会社設立。同月、満洲国政府、満鉄並に本社、小倉石油、三井物産、三菱鉱業及商事の共同出資に依り、資本金五百万円(昭和十一年十二月一千万円に増資)の満洲石油株式会社創立せらる。理事長橋本本社長。 | ||
6月 | 松方対内外六社協定成立、七月石油業法実施、並に鉱油精製業聯合会設立、九月国産揮発油聯合会結成等により油価漸次恢復し、業界好転に向ふ。 | ||
9月 | 深度三千米(後三千四百米に延長)の予定を以て台湾錦水油田ロ式三十二号井開坑。 | ||
- | 秋田県院内・小国油田益々開発せられ、又、秋田市外八橋油田の上総掘浅掘井続々出油し、産油増勢に転ず。 | ||
昭和10年(1935) | - | 【渋沢敬三】日本女子大学評議員就任。 | 渋沢関係略年譜 |
4月11日 | 台湾錦水油田ロ式三十二号井深度一、七五五米にて大瓦斯噴出、其量約一億立方呎にして、採収計画中火災を発す。同二十七日消火。 | ||
4月21日 | 八橋油田綱式一号井深度二〇九米にて自噴開始、日産一千二百石あり、同油田急速に展開す。 | ||
4月 | 鶴見製油所に新設のNNC式分解蒸溜装置完成す。 | ||
6月 | 資本金一千万円を以て朝鮮石油株式会社設立せらる。社長は橋本本社長なり。 | ||
10月 | 本社及小倉、早山、愛国各石油会社共同出資、松方幸次郎氏の露油輸入に関する権利義務を継承して資本金百七十五万円の日ソ石油株式会社を創立す。 | ||
- | 石油業法による石油保有義務実施のため、鶴見及下松製油所の貯油設備を拡張す。 | ||
昭和11年(1936) | - | 【竜門社】第二次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。 | 渋沢関係略年譜 |
6月28日 | 秩父宮雍仁親王、同妃両殿下、本社秋田製油所及八橋鉱場に御台臨あらせらる。 | ||
8月 | 本社柏崎油田に於て、日本学術振興会主催の弾性波利用による地質調査実施せらる。 | ||
10月26日 | 石油業委員会に於て、兵庫県武庫郡大庄村に本社関西製油所新設の件可決せらる。 | ||
- | 八橋油田益々発展し、成功井相次いで出づ。特にロ式一号井の如きは十一月二十一日深度三二〇米にて自噴開始、日産一千二百石以上に上れり。 |