※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治11年(1878) | - | 【渋沢栄一】東京商法会議所創立・会頭(後に東京商業会議所・会頭)。〔38歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 明治天皇北越御巡視のおり、工部卿井上馨ら勅命により頸城油田荻平を視察 | 国内関係 | |
- | 東京株式取引所開所 | 国内関係[一般] | |
明治12年(1879) | - | 【渋沢栄一】東京海上保険会社創立。北豊島郡西ケ原村(現在の東京都北区西ケ原)に別荘(飛鳥山邸、翌年曖依村荘と命名)を構える。グラント将軍(元アメリカ大統領)歓迎会(東京接待委員総代)。養育院院長。〔39歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
11月 | わが国初のパイプライン頸城荻平に敷設、一九町余 | 国内関係 | |
12月 | エジソン、炭素線の白熱電灯を発明 | 国外関係[一般] | |
- | 愛国石油鑿井瓦解 | 国内関係 | |
- | 外航タンカー、ノルウェー船スター号(船倉にタンクを設置したもの)灯油を積載初めてフィラデルフィアからルーアンへ航行 | 国外関係 | |
- | 1877~9ノーベル兄弟商会、油槽船ゾロアスター号を建造、バクーからボルガ流域に使用 | 国外関係 | |
明治13年(1880) | - | 【渋沢栄一】博愛社社員(後に日本赤十字社常議員)。〔40歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 加藤直重、春日永太郎ら尼瀬油田に手掘井の水止めに成功、尼瀬開発の端を開く | 国内関係 | |
- | 政府は赤羽工作局製のアメリカ式鑿井機で新潟県刈羽郡赤田に試掘、失敗 | 国内関係 | |
- | 北樺太、オハ油田発見 | 国外関係 | |
明治14年(1881) | - | 【渋沢栄一】ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ飛鳥山訪問。東京大学より文学部「日本財政論」の講師を嘱託される。〔41歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 相良石油設立(静岡県) | 国内関係 | |
- | パナマ運河起工 | 国外関係[一般] | |
明治15年(1882) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社創立。千代夫人死去。〔42歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 田代虎二郎、東京深川木場に泰平社(石油製造所)を設立 | 国内関係 | |
- | 日本銀行条例制定 | 国内関係[一般] | |
- | ロックフェラー、石油トラストを結成、全米石油工業の九〇%、世界原油の六二%を支配 | 国外関係 | |
明治16年(1883) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社相談役、同社工場落成。 東京電燈会社創立(後に委員)。伊藤兼子(かね子)と再婚。〔43歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | ロシアでノーベル兄弟、連続蒸溜法を実用化 | 国外関係 | |
- | イギリスのロスチャイルド、バクー石油の販売を開始 | 国外関係 | |
- | 蘭領スマトラ油田開発着手 | 国外関係[一般] | |
- | イギリス、エジプトに支配権確立 | 国外関係 | |
明治17年(1884) | - | 【渋沢栄一】東京商業学校(前、商法講習所)校務商議委員。磐城炭礦社設立・会長。日本鉄道会社理事委員(後に日本鉄道株式会社取締役)。〔44歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 田代虎二郎、安全灯油(灯台油)の製造に成功 | 国内関係 |