※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正14年(1925) | - | 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 | 渋沢関係略年譜 |
8月 | 生ゴム暴騰により阪神方面のタイヤ業者休業す | 参考事項 | |
10月 | 前取締役小室泰治工場復興打合せのためグ社へ出張す | 当社関係事項 | |
12月 | 銀輸出解禁 | 参考事項 | |
大正15年(1926) | - | 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 平沼町旧工場敷地の一部を鉄道省へ売却す | 当社関係事項 | |
4月 | 日本ゼネラルモータース会社(資本金三〇〇万円)大阪に設立 | 参考事項 | |
5月 | ゴムタイヤ組合五割操短、販売価格据置決定 | 参考事項 | |
昭和元年(1926) | - | 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
12月 | 大正天皇崩御、昭和と改元 | 参考事項 | |
12月 | 輸入タイヤの乱売戦激化す | 参考事項 | |
昭和2年(1927) | - | 【渋沢栄一】日本国際児童親善会創立・会長。日米親善人形歓迎会を主催。航空輸送会社設立準備調査委員会会長。〔87歳〕【渋沢敬三】東洋生命取締役に就任。理化学興業監査役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | グ社と工場復興を折衝のため小室泰治再度渡米す | 当社関係事項 | |
4月 | グ社品輸入販売に関する覚書一部改訂さる | 当社関係事項 | |
4月 | 金融パニック深刻化、支払猶予緊急令実施 | 参考事項 | |
7月 | 山東出兵 | 参考事項 | |
9月 | 取締役エル・デー・ブラウン氏死去す | 当社関係事項 | |
12月 | 工場復興目論見書完成す | 当社関係事項 | |
昭和3年(1928) | - | 【渋沢栄一】日本女子高等商業学校建設後援会発起人。日本航空輸送株式会社創立・創立委員長。〔88歳〕【竜門社】青淵先生米寿祝賀会を開催し、斯文会編訳『国訳論語』等を記念品として青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 工場建設のため横浜市鶴見区平安町の土地を京浜電鉄より買収し整地を開始す | 当社関係事項 | |
2月 | 平沼旧工場敷地残部を小川諦蔵氏外に売却す | 当社関係事項 | |
2月 | 第一回普通選挙施行 | 参考事項 | |
3月 | 御大礼記念国産振興東京博覧会開催さる | 参考事項 | |
4月 | 神奈川県知事より工場設置の認可を受く | 当社関係事項 | |
4月 | 第二次山東出兵 | 参考事項 |