日本碍子(株)『日本碍子株式会社三十年史』(1949.05)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和19年(1944) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 渋沢関係略年譜
8月11日 当地方米国機の空襲を受く
8月28日 電気機械統制会会員に指定さる
10月2日 名古屋市瑞穂区御劒町一丁目六番地の土地五七二坪を日本特殊陶業株式会社に売却。
11月6日 当社に於て定時株主総会を開く 定款第二十二条中「取締役拾名以内監査役参名以内」とあるを「取締役拾弐名以内監査役四名以内」と変更
11月 取締役弐名補欠選挙の結果浅井政彦、浅野直三両氏当選
12月7日 東海近畿地方強震
昭和20年(1945) - 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 渋沢関係略年譜
1月10日 名古屋市瑞穂区二野町一丁目八番地の土地四四〇坪及同町一丁目四番地の土地三四六坪を買収
3月12日 空襲に依り清和寮全焼
3月 (下旬)木造工場の一部除去、機械設備の瀬戸市横山、平池両工場への疎開、トンネル窯の知多工場への移転開始
5月4日 当社に於て定時株主総会を開く 取締役弐名増員選挙の結果栗本秀雄、渡辺喜の両氏当選、監査役満期改選の結果人見脩蔵、広瀬実秀の両氏再選、山口次郎氏当選
5月17日 未明空襲に依り工場の一部焼失
6月26日 空襲に依り従業員十三名の犠牲者を出す
8月15日 太平洋戦争終る、生産停止
8月25日 軍需省等告示第一号に依り軍需大臣より昭和二十年八月十五日を以て軍需会社指定を取消さる
10月 トンネル窯一基に火入、生産再開
11月20日 当社に於て定時株主総会を開く 会社を代表すべき取締役に森村義行、吉本熊夫両氏当選
11月 倉庫三株を日本特殊陶業株式会社より買収
12月 石炭事情極度に悪化す
昭和21年(1946) - 【竜門社】財団法人竜門社、財団法人渋沢青淵翁記念会が合同して渋沢青淵記念財団竜門社となる。【渋沢敬三】公職を追放さる。本邸は大蔵省に官邸として貸与、のち財産税にて敷地とともに物納。 渋沢関係略年譜
1月 労働組合結成
2月 従業員消費組合結成
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