※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治7年(1874) | - | 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 深川摂綿篤製造所、内務省より工部省に移管され、深川製作寮出張所と改称、宇都宮三郎同所監督となる | 業界(工部省関係及び外国を含む) | |
4月 | 宇都宮三郎、英仏流湿式焼成法を採用し、従来の深川製作寮出張所設備の根本的改造工事に着手 | 業界(工部省関係及び外国を含む) | |
4月 | 台湾出兵 | 政治・経済・社会 | |
5月 | 阪神間鉄道開通 | 政治・経済・社会 | |
9月 | 電信条例制定(施行12・1) | 政治・経済・社会 | |
- | 浅野総一郎、石炭商専業となる。 | 当社 | |
明治8年(1875) | - | 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月19日 | 深川製作寮出張所の根本的改造工事竣工、英仏流製造設備の工場(月産二百樽=約三六瓲)として新発足、初めて焼塊製出さる | 業界(工部省関係及び外国を含む) | |
11月 | 宇都宮三郎、フィラデルフィア博覧会の御用掛として渡米(翌年9月帰国) | 業界(工部省関係及び外国を含む) | |
明治9年(1876) | - | 【渋沢栄一】東京府瓦斯局事務長。養育院事務長。深川福住町(現在の東京都江東区永代)に転居。〔36歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 初代浅野総一郎、横浜瓦斯局よりコークスの払下げを受け、深川製作寮出張所に納入開始 | 当社 | |
7月 | 治安妨害の新聞雑誌の発行禁止または発行停止を布告 | 政治・経済・社会 | |
7月 | 三井物産会社設立 | 政治・経済・社会 | |
9月 | 京都~大阪間鉄道開通 | 政治・経済・社会 | |
11月 | 深川製作寮出張所、原料乾燥場一棟増築 | 業界(工部省関係及び外国を含む) | |
明治10年(1877) | - | 【渋沢栄一】択善会創立(後に東京銀行集会所・会長)。王子西ヶ原に別荘を建てはじめる。〔37歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 深川製作寮出張所、官制改革により深川工作分局と改称 | 業界(工部省関係及び外国を含む) | |
2月 | 西南戦争勃発(~鎮定9月) | 政治・経済・社会 | |
6月 | イギリス人トーマス・ラッセル・クランプトン回転窯を完成、セメントの焼成を試験し、特許を獲得 | 業界(工部省関係及び外国を含む) | |
7月 | 「中外工業新報」第四号にセメントの広告を掲載、積極的にセメント販売に乗り出す | 業界(工部省関係及び外国を含む) | |
8月 | 第一回内国勧業博覧会開催(11月まで) | 政治・経済・社会 | |
11月 | 東京上野に開催の第一回内国勧業博覧会にセメント出品し、竜紋賞(一等賞)を受賞 | 業界(工部省関係及び外国を含む) | |
明治11年(1878) | - | 【渋沢栄一】東京商法会議所創立・会頭(後に東京商業会議所・会頭)。〔38歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 深川工作分局、セメント生産高倍加の計画をたて、焼窯二基増設に着工 | 業界(工部省関係及び外国を含む) |