※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和22年(1947) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』670号を復刊する。 | 渋沢関係略年譜 |
4月21日 | 役員 柳沢七郎、社長を辞任。広田寿一、専務取締役(筆頭役員)に就任。 | ||
6月12日 | 行幸 〔尼崎〕天皇陛下臨幸。 | ||
6月 | 労務 工職区分を廃し、社員制度を実施。 | ||
昭和23年(1948) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』677号をもって廃刊する。 | 渋沢関係略年譜 |
2月28日 | (住友) (株)住友本社解散。 | ||
5月6日 | 組織 〔和歌山〕製鋼所和歌山製作所を製鋼所から分離し、和歌山製作所と改称。 | ||
昭和24年(1949) | - | 【竜門社】政府より曖依村荘が無償返還されることになる。財団法人社会教育協会に依頼して、機関誌『竜門雑誌』を継承する機関誌『青淵』を創刊する。曖依村荘全敷地の約3分の2を売却する。 | 渋沢関係略年譜 |
4月25日 | (一般) 一ドル三六〇円の単一為替レートを実施。 | ||
6月3日 | 労務 不況に対処する再建整備方策を組合に提案し、交渉の結果七月末解決。 | ||
7月1日 | 設立 企業再建整備計画の認可に基づき、第二会社新扶桑金属工業株式会社を設立。資本金七億円。広田寿一、社長に就任。扶桑金属工業(株)は解散し清算会社となる。(三十一年十一月二十八日清算結了) | ||
7月1日 | 表彰制度 会社に功績のある社員(チームを含む)を表彰する有功賞の規定を制定。 | ||
8月16日 | 組織 本店を本社、和歌山製作所を和歌山製造所と改称。 | ||
9月20日 | 社債 第一回物上担保附社債信託契約を締結。(総額七億円) | ||
昭和25年(1950) | - | 【渋沢敬三】ユニバーサル広告社社員(~1951年)。 | 渋沢関係略年譜 |
1月7日 | 表彰制度 業績向上もしくは非常事態対策に顕著な貢献をした団体を表彰する制度を実施。 | ||
5月 | 労務 自家保有を図る住宅融資制度を実施。 | ||
6月25日 | (一般) 朝鮮戦争勃発。(二十八年七月二十七日休戦) | ||
12月1日 | 関係会社 鳴海製陶(株)、扶桑乳業(株)の両社を設立。当社製陶・乳業両部門の業務を承継。 | ||
昭和26年(1951) | - | 【竜門社】文部省史料館に日本実業史博物館準備室資料を寄託する。機関誌『青淵』を渋沢青淵記念財団竜門社から発刊する。【渋沢敬三】追放解除。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 設備 〔和歌山〕第一小径電縫鋼管設備を新設。(これを含め三十七年七月までに小径電縫鋼管設備合計四基を設置) | ||
11月28日 | 定款 商法改正に伴い、授権資本ならびに取締役の選任方法および取締役の任期などを変更。 | ||
昭和27年(1952) | - | 【渋沢敬三】貯蓄増強中央委員会会長に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
2月1日 | 表彰制度 安全衛生に関し特に功績のある団体を表彰する制度を実施。 | ||
5月28日 | 改称 住友金属工業株式会社の商号に復帰。 | ||
6月1日 | 増資 資本金、二一億円に増加。 |