※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和21年(1946) | - | 【竜門社】財団法人竜門社、財団法人渋沢青淵翁記念会が合同して渋沢青淵記念財団竜門社となる。【渋沢敬三】公職を追放さる。本邸は大蔵省に官邸として貸与、のち財産税にて敷地とともに物納。 | 渋沢関係略年譜 |
6月 | 川崎工場民需転換の許可を受く | 主要事項 | |
6月 | 宮城県遠刈田疎開工場敷地並に建物を、東洋繊維株式会社に売却 | 主要事項 | |
7月 | 横浜工場民需転換の許可を受く | 主要事項 | |
8月 | 企業再建整備法により、特別経理会社の指定を受く | 主要事項 | |
12月 | 吉井桃磨呂監査役退任 | 主要事項 | |
昭和22年(1947) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』670号を復刊する。 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | 松宮隆監査役に就任 | 主要事項 | |
10月 | 川崎工場受電室の復旧工事完了 | 主要事項 | |
昭和23年(1948) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』677号をもって廃刊する。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 本社を丸の内ビルディング8階より、川崎市小美屋デパート4階に移転 | 主要事項 | |
12月 | 川崎工場酸洗工場復旧し、作業を再開 | 主要事項 | |
12月 | 本社を中央区木挽町新研ビルに移転 | 主要事項 | |
昭和24年(1949) | - | 【竜門社】政府より曖依村荘が無償返還されることになる。財団法人社会教育協会に依頼して、機関誌『竜門雑誌』を継承する機関誌『青淵』を創刊する。曖依村荘全敷地の約3分の2を売却する。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 相談役田沼義三郎氏死去 | 主要事項 | |
2月 | 川崎工場3瓲弧光炉の復旧工事完了、作業を再開 | 主要事項 | |
4月 | キティー台風のため、川崎工場建物に甚大な被害を受く | 主要事項 | |
5月 | 静岡県新所原工場の敷地並に建物を、東洋繊維株式会社に売却 | 主要事項 | |
6月 | 大阪営業所、仙台工場を除き本社及川崎、横浜両工場の労働組合はストに突入、1週間後会社の人員整理案で妥結 | 主要事項 | |
6月 | 元相談役井坂孝氏死去 | 主要事項 | |
12月 | 未払込株金l,680万円を徴収、全額旧債務の弁済に充当 | 主要事項 | |
昭和25年(1950) | - | 【渋沢敬三】ユニバーサル広告社社員(~1951年)。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 企業再建整備完了、特別経理会社を解除さる | 主要事項 | |
3月 | 取締役水野誠常務取締役に就任 | 主要事項 | |
3月 | 茂木孝一、中島純三郎、深井弥平の3名取締役に就任 | 主要事項 |